20世紀日本人名事典 「宇田友猪」の解説
宇田 友猪
ウダ トモイ
- 生年
- 慶応4年7月17日(1868年)
- 没年
- 昭和5(1930)年11月12日
- 出生地
- 土佐国土佐郡小高坂村(高知県高知市)
- 別名
- 号=宇田 滄溟(ウダ ソウメイ),七星草堂主人,戦国亭主人,字=誠甫,通称=朋猪
- 学歴〔年〕
- 東京専門学校邦語政治科〔明治23年〕卒
- 経歴
- 明治20年郷土の先輩である政治家・板垣退助に従って上京し、東京専門学校に学ぶ。在学中から森槐南に師事して漢詩を作った。23年同校を卒業後に新聞記者となり、「自由新聞」「新愛知」「新潟毎日新聞」などを経て高知の「高知実業新聞」「土陽新聞」で活躍、高知発祥の自由党の伝統を受け継ぎ健筆を揮った。また、36年には板垣が主宰する風俗改良会の雑誌「友愛」編集人となる。大正2年には仙台に移って「新東北」主筆に就任、12年まで務めた。晩年は「原敬伝」などの編纂に従事。編著は他に「壟上偶語」「滄溟集」「自由党史」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報