日本大百科全書(ニッポニカ) 「自由国民」の意味・わかりやすい解説
自由国民
じゆうこくみん
Polo della Libertà イタリア語
イタリアの中道右派政党。「自由の人民」とも表記される。略称はPdL。2008年総選挙時の政党連合から始まり、2009年3月に政党として発足。党首はベルルスコーニ、党書記はアルファーノAngelino Alfano(1970― )。2013年分裂のために解党。
1994年の総選挙以来、中道右派政党は、フォルツァ・イタリアを中心に選挙連合を組織してたびたび選挙に勝利し、政権を掌握してきた。小選挙区比例代表並立制や2006年の総選挙で採用された多数派プレミアム付き比例代表制の効果もあり、左右両陣営の政党は徐々に集約されつつあった。とくに2006年の総選挙で中道左派が政権を奪回し、勢いにのって翌2007年民主党(PD)に合流すると、中道右派勢力の側でも対抗して合流の動きが本格化する。2007年11月、翌2008年の総選挙に向けた政党連合として、フォルツァ・イタリアや国民同盟(AN)など有力政党、新社会党や共和党など小政党が結集した。他方で、北部同盟(現、同盟)は北部独立を掲げ、独自性を保とうと不参加を選択した。
2008年の総選挙で勝利し政権連合となった後、2009年3月には正式に政党として結成された。しかし、党内ではフォルツァ・イタリア出身のベルルスコーニと、国民同盟出身のフィーニGianfranco Fini(1952― )の対立は、党運営や首相ベルルスコーニの資質問題をめぐって先鋭化する。結局切り崩されたフィーニ派は離党し、2010年7月「イタリアの未来と自由Futuro e Libertà per l'Italia」を結成した。その後も、経済危機の舵(かじ)取りや汚職、買春問題などベルルスコーニの政権運営・党運営への批判から離脱者が相次ぐ。2013年の総選挙での敗北を受けて、党書記アルファーノが離党し新中道右派を結成したのが決定打となり、解党に追い込まれた。ベルルスコーニらはフォルツァ・イタリアを再建したが、党勢は大幅に低下した。
[伊藤 武 2018年6月19日]