1995年1月に結成された、南部と一部中部をおもな地盤とするイタリアの右派政党。略称はAN。指導者ジャンフランコ・フィーニGianfranco Fini(1952― )。2009年に解党。
第一共和制時代の極右のネオファシスト政党、イタリア社会運動を前身とする。同党は1980年代には穏健化し、右翼政党化していた。1990年代初頭、第一共和制の崩壊で総選挙に向けて党の刷新が課題となるなかで、国民同盟は、当初政党連合として結成された。第一次ベルルスコーニ政権の与党となった後、1995年1月正式に政党となる。党指導者のフィーニは、旧来の極右政党のイメージを刷新し、現代的な右派政党への転換を図った。2008年、フィーニが下院議長に選出されると、名目上党首を辞任する。その後2009年、新党の自由国民へ合流するために解党した。
党のイデオロギーは、部分的にネオファシズムの流れを依然含むものの、ナショナリズム的保守主義と規定する論者もいるように、基本的には保守主義色が強かった。政策的には、移民流入への強い反対、法と秩序の重視、カトリックの宗派的価値の擁護など社会文化的保守主義に加え、イタリアの中央集権的国家構造と政府の経済的役割の維持を支持した。これは同党の基盤が、前身のイタリア社会運動以来、おもに経済的に発展の遅れた南部地域であったため、公共事業や福祉など中央政府からの支援を重視していたからである。一部中部地域でも、移民流入を警戒し、北部同盟(現、同盟)の分離主義を計画する保守勢力からも支持を得た。そのため、同じ中道右派連合内でも北部の自立を主張する北部同盟、さらには全国政党でありながら北部を拠点とするフォルツァ・イタリア系の勢力とは、摩擦を抱えることになった。
[伊藤 武 2018年6月19日]
1932年(昭和7)12月、立憲民政党を脱党した安達謙蔵(あだちけんぞう)、中野正剛(せいごう)らを中心に結成されたファッショ的政党。1931年、第二次若槻(わかつき)礼次郎内閣の内務大臣であった安達は、十月事件などファッショ化の動きに触発され、二大政党(立憲民政党、立憲政友会)が協力して軍部寄りの強力な内閣を目ざす、いわゆる協力内閣運動を企てたが失敗、翌年32名の代議士を糾合して国民同盟を組織した。国民同盟は統制経済主義、日満経済ブロックの確立を唱えて政治のファッショ化を推進し、帝人事件に際してはこれを追及して斎藤実(まこと)内閣の倒閣をねらった。しかし、しだいに内部対立が表面化し、35年末には中野正剛が脱党、さらに36年、37年の二度の総選挙では大幅に議席を減らした。その後の活動は振るわず、40年7月解党、新体制運動に合流した。
[北河賢三]
安達謙蔵ら立憲民政党の脱党者を中心として1932年結成された政党。安達は1931年の十月事件に刺激され,立憲政友会幹事長久原房之助らと結んで強力な政府を作るべく協力内閣運動をすすめたが失敗し,中野正剛らとともに脱党した。残留した同派メンバーははじめ安達の復党をはかったが,党幹部に阻止されたため,22名が脱党し,清瀬一郎,大竹貫一らの革新党も合流して,32年8月国民同盟準備委員会が作られ,12月22日国民同盟を発足させた。綱領に国際正義の再建,統制経済の確立,政界の積弊の打破などをうたい,内閣制の廃止と国務院の創設,日満経済ブロック,極東モンロー主義などの政策をかかげた。総裁は安達,幹事長は山道襄一で,第64議会では33議席を有した。また,日本の政党としてはじめて制服を採用し,イタリアのファッショを模した黒サージ,両胸ポケット,バンド付きのスタイルからも“和製ファッショ”と呼ばれた。斎藤実内閣にたいしては野党的立場をとり,ついで岡田啓介内閣では安達が内閣審議会委員に就任して与党化したが,党内には民政党復帰派(山道派)や解党派(中野派)などの動きがおこり,35年末までに山道ら8名が民政党に復帰し,中野も脱党して東方会に拠り,党勢は減退した。36年2月の総選挙では32名が立候補したが,当選は15名にとどまり,さらに37年4月の総選挙では当選11名へ落ち込んだ。結局,党勢不振のまま,40年7月26日解党式をおこない,大政翼賛会に合流した。
執筆者:江口 圭一
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昭和前期の政党。1932年(昭和7)12月に結成。総裁は立憲民政党内閣の内相を務めた安達謙蔵。前年末に民政党を脱党した安達派を中心に,清瀬一郎ら革新党などの代議士30余人が参加。党内では統制経済を主張する中野正剛(せいごう)らと民政党復帰を主張する山道襄一派が対立,35年に中野派が脱党し,山道派は民政党に復帰,以後党勢は低落。40年7月新体制運動の過程で解党した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…26年5月のクーデタで民主的議会制を倒した軍事独裁政権から蔵相に招へいされ(1928),財政支出の全権を委譲されて積年の財政危機を克服し,一躍ポルトガルの〈救世主〉となった。単一政党の〈国民同盟〉を組織し,32年には首相に任命された。翌33年新憲法を公布し,組合主義的権威主義的〈新国家(エスタード・ノボ)〉体制を樹立した。…
※「国民同盟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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