興玉神社
こだまじんじや
[現在地名]都城市安久町 正応寺
都城盆地の南端、鰐塚山系の北裾野に位置し、正応寺跡より約七〇〇メートル下った麓の辺りにある。旧安久村宮園に鎮座していた久玉大明神を明治六年(一八七三)に古くから現在の地にあった外山権現と合祀して興玉神社と改称した(神社明細帳)。したがって地元の古老は今でもくだま神社とよんでいる。祭神は猿田彦命・少彦名命・大名持命。旧村社。
久玉大明神は元禄一一年(一六九八)の神社由緒調帳写(都城島津家文書)にその神名がみえ、格護は野村金左衛門、本地は弥陀・薬師・観音とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
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