舞子島古墳群(読み)まいこじまこふんぐん

日本歴史地名大系 「舞子島古墳群」の解説

舞子島古墳群
まいこじまこふんぐん

[現在地名]阿南市椿町

燧(ひうち)崎東方八〇〇メートルの海上にある舞子島に所在する古墳群。一〇基の横穴式石室墳から構成される。古墳群の発見は古く、大正一一年(一九二二)五月には五基の古墳が確認されており、同年八月には鳥居龍蔵・田所眉東・森敬介らが渡島し、石室が調査されている。舞子島は東西一・五キロ、南北二〇〇メートル、最高所八四・三メートルの無人島である。海食作用により島の南側標高二〇メートル以下は断崖になっている。古墳群は島の南西端の標高二〇―三〇メートルの尾根緩斜面に構築されており、横穴式石室は蒲生田(がもうだ)岬方向に開口するが、石室・墳丘ともに浸食作用による崩落が進んでいる。墳丘が不明な九号墳・一〇号墳を除いていずれも径七―一〇メートルの円墳で、一号墳・二号墳・六号墳は長方形の平面プランをもつ横穴式石室を採用する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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