日本歴史地名大系 「椿村」の解説
椿村
つばきむら
近世初期の邑鑑に村名がみえ、高一千三〇九石余、免三ツ五分、家数四五(うち役家一七、肝煎・小走二)・人数一九五、役木として漆・桑をあげる。蒲生氏高目録帳では村柄は上、修正前の高一千四三七石余。寛永八年分限帳によると当村に給地のある家臣は侍衆の武田大夫など二三人。
椿村
つばきむら
- 新潟県:両津市
- 椿村
南は
椿村
つばきむら
正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に椿林村四〇三石とある。享保一四年(一七二九)の黒印高帳(秋田県庁蔵)には合計当高五一八石余とある。同期の「六郡郡邑記」に椿村家四軒、支郷は
椿村
つばきむら
椿村
つばきむら
椿村
つばきむら
椿村
つばきむら
- 千葉県:木更津市
- 椿村
椿村
つばきむら
- 秋田県:男鹿市
- 椿村
男鹿半島南部、
天正一九年(一五九一)の出羽国秋田郡知行目録写(秋田家文書)に「金川村 椿村 はらい川村 本山村 沢村」として二六六石三斗三升三合とある。
椿村
つばきむら
椿村
つばきむら
- 大分県:別府市
- 椿村
椿村
つばきむら
東を
椿村
つばきむら
椿村
つばきむら
矢作川上流部に架かる富国橋の南、中馬の通る飯田街道から北の山間に少し入った所に位置する。近世初頭は幕府領で、三河代官鳥山牛之助支配であった。慶安四年(一六五一)から
椿村
つばきむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報