舟見町
ふなみまち
[現在地名]佐倉市並木町
海隣寺並木・新建の東方に位置する城外の侍屋敷地で、台地上に立地。「古今佐倉真佐子」は佐倉城下で舟が往来する唯一の鹿島川が当地から見下ろせるため、稲葉正往(正通)が命名したと記す。土井利勝時代には畑で(「佐倉城絵図」鷹見家蔵)、大久保忠朝時代には永久寺が建立された(「佐倉絵図」小田原市立図書館蔵)。稲葉正知時代には永久寺跡に侍屋敷五戸があり、台地先端には松山と畠があった(「佐倉城府内之図」佐倉市蔵)。元禄一四年(一七〇一)と享保八年(一七二三)の鏑木村明細帳(岩淵家文書)によれば、鏑木村内台地先端の不動作は永久寺御林と称される佐倉藩有の松山であった。松平乗邑時代には盛巌寺・喜雲院・天光院・傑叟院が隣接して建立され、ほかに無足人長屋・空地があり(「佐倉城絵図」篠丸家蔵)、当地は寺町とされていたものとみられる。
舟見町
ふなみちよう
大正一一年(一九二二)四月に成立した現在の室蘭市の町名。絵鞆半島の中央部に位置し、西は内浦湾に臨む。町名の由来は地形にちなむ。もとは室蘭区大字本町の一部で、オイナヲシ(追直)、モトマリ、リロマモイの字名があり、大正一一年四月に室蘭区舟見町となった(「大字廃止及町名番地改称の件」昭和一六年室蘭市史)。同年八月の市制施行により室蘭市舟見町となる。昭和四一年(一九六六)住居表示が実施され、一―二丁目が設定され、一部を栄町一―二丁目・山手町二丁目に移した(第四次住居表示新旧対照表)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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