船田兵吾(読み)フナダ ヒョウゴ

20世紀日本人名事典 「船田兵吾」の解説

船田 兵吾
フナダ ヒョウゴ

明治・大正期の教育者 下野私立教育会理事。 作新学院の創設者。



生年
明治1年9月28日(1868年)

没年
大正13(1924)年12月11日

出生地
下野国梁田郡上渋垂村(栃木県足利市)

主な受賞名〔年〕
帝国教育会長功牌〔明治44年〕,勲六等瑞宝章〔大正12年〕

経歴
代々、赤城神社神職を務める家に生まれる。幼時祖父より学問の手ほどきを受け、次いで小学校や私塾に学び、漢学・文学・剣術などを修めた。明治17年に英学塾に進むため宇都宮に赴き、18年には同地に下野英学校を設立。同校は21年に財政難のため閉校するが、間もなく宇都宮市内の私立学校が合同して私立作新館を開くこととなり、彼も教育の現場に復帰した。のち同館長に就任、以来、学校の発展と生徒の教育に心血を注ぎ、28年には文部省の認可により同校を栃木県初の私立尋常中学校とした。32年中学校令の改正を期に、下野中学校に改称。その傍ら、障害者教育にも力を尽くし、41年には私立宇都宮盲啞学校の設立に参画している。政治家・船田中らの父。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「船田兵吾」の解説

船田兵吾 ふなだ-ひょうご

1868-1924 明治-大正時代の教育者。
明治元年9月28日生まれ。船田中,船田享二の父。生家は下野(しもつけ)(栃木県)御厨(みくりや)村(足利市)の赤城神社神職。明治17年宇都宮にでて,私塾にまなぶ。翌年下野英学校(のちの下野中学。現作新学院)を創設,私学の経営と子弟の教育につくした。大正13年12月11日死去。57歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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