日本歴史地名大系 「花巻城跡」の解説
花巻城跡
はなまきじようあと
南流する北上川の右岸、
陸奥七郡を領した南部信直は当地を仙台藩に対する警備の一拠点と考え、天正一九年北秀愛を当城に置き花巻郡代とした。鳥谷ヶ崎城は花巻城と改められ、改修が施されたと伝える。秀愛は和賀・稗貫両郡に八千石を与えられ、城下町の整備などを進めたが、慶長三年(一五九八)没した。代わって父北松斎信愛が同じく郡代として入城した。関ヶ原合戦直後の同五年一〇月二四日、南部利直は亀森玄蕃に「鳥谷崎」在府を命じている(「南部利直書状」宝翰類聚)。また年未詳の八月二二日付同書状(石鳥谷光林寺文書)や一一月一七日付南部信直書状(石巻斎藤文書)から、南部氏が居城していたことがわかる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報