花沢村(読み)はなざわむら

日本歴史地名大系 「花沢村」の解説

花沢村
はなざわむら

[現在地名]米沢市花沢町・花沢・下花沢しもはなざわ二―三丁目・駅前えきまえ一丁目・同三丁目・桜木町さくらぎちよう

米沢城下北東まつ川と羽黒はぐろ川に挟まれ、両川の合流点南の平地に立地。戦国時代には上長井のうち。天文七年(一五三八)の段銭古帳にみえる八木橋やぎばし近世の花沢村に含まれるとみられる。ここから一二貫七〇〇文を納めている。同二二年の晴宗公采地下賜録によれば、八木橋のうち中野常陸介が進藤九郎兵衛より買地の「や藤在家」、佐藤備中が佐藤助左衛門より買地の「ゑちこ在け」「くわんをん田」七〇刈と本沢彦衛門より買地の「いなは在け」一軒残さず、進藤九郎兵衛が富塚近江分「はしもと在け」、佐藤左馬允が佐藤大炊助分「かうや在家」「松木さいけ」および花沢のうち切田一千刈、六〇〇畑、親よりの譲地などをそれぞれ安堵ないしは下賜されている。


花沢村
はなざわむら

[現在地名]焼津市花沢

野秋のあき村の北西に位置し、高草たかくさ山の東麓に立地する。益津ましづ郡に属し、南は吉津よしづ村。永禄一二年(一五六九)と推定される正月一〇日の武田信玄書状写(古文書写)に花沢とみえる。元亀三年(一五七二)九月二日、武田氏は花沢山などでの竹木の伐採を向井伊賀守(正重)に命じている(「武田家朱印状写」甲州古文集)。江戸時代の領主変遷なか村と同じ。慶長年間(一五九六―一六一五)吉津村が当村から分村したとされ(明和二年「一札」花沢区有文書)馬場ばんば村・成沢なるさわ村もかつては当村に含まれていたという(志太郡誌)。慶長九年八月の山西益頭之内花沢村・吉津村御縄打水帳(石川家文書)が残る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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