若宮庄(読み)わかみやのしよう

日本歴史地名大系 「若宮庄」の解説

若宮庄
わかみやのしよう

京都六条八幡宮(左女牛若宮、当時は現京都市下京区、現在は京都市東山区若宮八幡宮社)領、のち山城醍醐寺三宝院領。当初は鞍手領ともよばれた。庄域は現在の若宮町のほぼ全域と宮田みやた町の南西部などに及んでいたと思われ、地内には武恒たけつね犬丸いぬまるのほか石松いしまつ(多伊羅村・平村)竹原たけはら名・金丸かなまる名・金生かのう黒丸くろまる郷、古物ふるもん(古門)などが含まれ、水原みずはら若宮八幡宮は当庄の鎮守社であった。もとは平家没官領で、関東御領となって鞍手領と称されたと考えられる。文治三年(一一八七)「筑前国鞍手領」などが左女牛さめうし若宮に寄進され、別当の季厳(大江広元の弟)の支配とされた(「吾妻鏡」同年一〇月二六日条)。ただし寄進の時期を同二年一二月二六日とする史料もある(康永三年八月一五日「六条新八幡宮奉納文書目録」醍醐寺文書/岐阜県史 史料編古代中世四、以下断りのない限り同文書)。左女牛若宮に寄進されたのは領家職と思われ、地頭職は幕府が留保したと考えられる。文永五年(一二六八)水原預所は、「けん太郎」が「こんまうの御房」に召置かれた際、仲介に入りその身を預かっている(同年六月二二日「きひのきくまさ等連署請文」鎌一三)。同七年使僧定成は放生会用途として犬丸方から銭一〇貫文と下帯用の布二反を運上し(同年六月二五日「定成犬丸方銭送状」鎌一四)、また預所代の宮治時種と伊勢入道殿(政所執事二階堂行綱・行願)代官らは同年の犬丸方得分米四九石余を運上している(同年閏九月二七日「犬丸方得分米送状案」鎌一四)

建武五年(一三三八)足利尊氏から六条八幡宮別当職が醍醐寺三宝院賢俊に寄進され(同年八月一一日「足利尊氏御教書」古一九―一)当地も三宝院領となったと考えられる。文和三年(一三五四)六条八幡宮領の「鞍手郡武恒・犬丸」が武藤肥前守(馬場経貞か)・開田遠員らによって濫妨され、その停止が鎮西管領兼筑前守護一色直氏らにしばしば命じられている(四月一〇日「足利尊氏御内書」南六など)。延文四年(一三五九)にも武恒・犬丸、石松名などが軍勢の濫妨を受けており(一二月一四日「足利義詮御内書」南四など)、この頃「武恒・犬丸両庄千五百石」は南朝方に押領されたと思われる(年月日未詳「醍醐寺領知行・不知行目録」富)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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