日本歴史地名大系 「若宮庄」の解説
若宮庄
わかみやのしよう
京都六条八幡宮(左女牛若宮、当時は現京都市下京区、現在は京都市東山区若宮八幡宮社)領、のち山城醍醐寺三宝院領。当初は鞍手領ともよばれた。庄域は現在の若宮町のほぼ全域と
建武五年(一三三八)足利尊氏から六条八幡宮別当職が醍醐寺三宝院賢俊に寄進され(同年八月一一日「足利尊氏御教書」古一九―一)、当地も三宝院領となったと考えられる。文和三年(一三五四)六条八幡宮領の「鞍手郡武恒・犬丸」が武藤肥前守(馬場経貞か)・開田遠員らによって濫妨され、その停止が鎮西管領兼筑前守護一色直氏らにしばしば命じられている(四月一〇日「足利尊氏御内書」南六など)。延文四年(一三五九)にも武恒・犬丸、石松名などが軍勢の濫妨を受けており(一二月一四日「足利義詮御内書」南四など)、この頃「武恒・犬丸両庄千五百石」は南朝方に押領されたと思われる(年月日未詳「醍醐寺領知行・不知行目録」富)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報