茂沢村
もざわむら
[現在地名]軽井沢町茂沢
現軽井沢町の西南部、森泉山の北麓にあり、西は現御代田町草越・豊昇に接する。
明応二年(一四九三)依田長久が法華堂(大井氏)に対し檀那職を譲る状に「模さハ・山口事」(大井文書)とあるのが初見。天正二年(一五七四)の大井文書に「大井之十二郷 此脇郷」として茂沢の名もあり、中世における所領関係がうかがえるが、発地村の枝郷杉瓜に接して、古東山道の道筋と推定され(北佐久郡志)、また付近の茂沢原には縄文時代の住居跡も発見されている。
この道筋は、近世に入ると、日影通と称され、岩村田宿(現佐久市岩村田)・小田井宿(現御代田町小田井)から入山峠(現軽井沢町境、群馬県碓氷郡松井田町)や和美峠(現軽井沢町南軽井沢、群馬県甘楽郡下仁田町)に通じる中馬道であった。
茂沢村
もさわむら
[現在地名]広神村茂沢
南東は吉原新田、北西へは水沢新田を経て竹沢村(現古志郡山古志村)に至る道が通じる。慶長七年(一六〇二)の岩ノ下村ほか四カ村検地帳(酒井徳一氏蔵)に「無沢村」「むさわ村」と記し、田七筆・七畝四歩、畠九筆・五畝一六歩。田地のすべては地字川はたにあり、畑地のすべては地字坂ノ下にある。名請人二人のうち屋敷持は一人。正保国絵図に「無沢村」高四石余とある。天和三年(一六八三)の検地帳(坂西大典氏蔵)では田八反余・畑三反余・青苧畑六畝一五歩、耕地は地字道下に多い。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 