茶湯崎橋(読み)ちやなざちばし

日本歴史地名大系 「茶湯崎橋」の解説

茶湯崎橋
ちやなざちばし

茶湯崎ちやなざち(松川村)を流れる真嘉比まかび川に架けられ(現松川二丁目)、王国時代から昭和期にかけて首里那覇間を結んだ重要な橋。創建年は不明。康熙一三年(一六七四)木橋から石橋に架替えられた(毛姓美里家家譜)。かつてこの辺りまで船がさかのぼってきたといわれ、一八世紀の政治家蔡温はその著作「独物語」で、交易の便を図るため茶湯崎に湊を造ることを提唱している(→松川村。橋のある一帯指帰さしかえしともいって妖怪伝承があり(球陽)、正徳一四年(一五一九)日本僧日秀が橋の北側に碑を建立した。この碑には梵字が刻まれていたため、「文字も故事もわからない松川の碑文」(ムジンクジンワカランマチガーヌヒムン)といわれ明治期まで残っていたが、道路整備のため撤去され現存しない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む