茶畑町(読み)ちやばたけちよう

日本歴史地名大系 「茶畑町」の解説

茶畑町
ちやばたけちよう

[現在地名]小田原市ほん町四丁目

代官だいかん町の西、中宿なかじゆく町・欄干橋らんかんばし町の南、東海道に並行する脇町。南は海に臨む。

貞享二年(一六八五)の御引渡記録(県史四)町名がみえ、宿場町として本人足役七人分を負担(「小田原町明細書上」県史九)。寛政五年(一七九三)魚座商人善兵衛が千度小路せんどこうじ魚座商人市郎兵衛とともに相模湾岸小田原藩領漁場五ヵ所(早川浦・千度小路浦・新久塩畑下・古新宿浦・山王原浦)の魚座十分一役と、早川はやかわ浦から網一色あみいしき浦までの船積十分一役とを請負った(「善兵衛肴拾分一等請負証文」県史九)。天保一四年(一八四三)九月、六〇〇石積の吉兵衛船が江の島へ向けて真鶴まなづる(現足柄下郡真鶴町)を出帆後大風のため辻堂つじどう(現藤沢市)へ漂着したが、船荷は無事小田原宿に引取られる(「吉兵衛船漂着一札」県史九)など、漁業・廻船業者の動きがみられる。


茶畑町
ちやばたけちよう

[現在地名]弘前市茶畑町

城の東側に位置し、和徳わつとく町の西にあり、北は茶畑新割ちやばたけしんわり町に続き、西は田地

「新撰陸奥国誌」に「昔時茶を植し畑地屋敷とせし故名付と云ふ」とあり、屋敷割がされる以前は茶畑であったという。明和元年(一七六四)藩律に町名がなく、寛政一二年(一八〇〇)の分間弘前大絵図(市立弘前図書館蔵)には町名が記され、二八軒の武家屋敷があるので、寛政期に成立したと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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