草原の道(読み)そうげんのみち(英語表記)Steppe Road

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「草原の道」の意味・わかりやすい解説

草原の道
そうげんのみち
Steppe Road

ユーラシア大陸中央部のステップ (草原) 地帯東西に貫く古代からの交易路。モンゴル高原から西へカザフ草原,アラル海カスピ海北方を通って,黒海北岸へ達するルートをさす。おもな交易品は黄金,毛皮,絹などの奢侈品であった。この地帯は,スキタイ匈奴突厥ウイグルなど遊牧騎馬民族の活躍舞台であり,彼らはこの交易路を抑えることによってみずからの支配を確立することができた。シルクロードといえば,通常は中央アジアのオアシス地帯を通るルートをさすが,そのほかに,北寄りの草原ルートと南方の海上ルートも,それに劣らず歴史的に重要な役割を果たした。

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旺文社世界史事典 三訂版 「草原の道」の解説

草原の道
そうげんのみち
step route

東西交通の北寄りの陸路
古くから交通路として利用された。モンゴルから天山山脈の北側のジュンガル・カザフの草原を通り,カスピ海の北側に達する順路。先史時代から遊牧・騎馬民族の活動舞台にあたり,前7世紀ごろからスキタイ文化がこのルートから北アジアに伝わり,その後の匈奴 (きようど) の西遷,バトゥの西征(キプチャク−ハン国はこの道の西端に建国),プラノ=カルピニウィリアム=ルブルックらがモンゴルを訪問したのも,この道を通ってであった。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「草原の道」の解説

草原の道(そうげんのみち)

シルクロード

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世界大百科事典(旧版)内の草原の道の言及

【シルクロード】より

…遊牧地帯を横切る交通路。草原の道,ステップの道,ステップ・ルートなどと呼ばれ,すでに前5世紀のヘロドトス《歴史》に記述が見られる。(2)洛陽・長安などから河西回廊を経て敦煌に至り,以後おもなものは2道に分かれ,1道はタリム盆地の北辺,天山山脈南麓のオアシス諸都市を経由してカシュガルに至り,次いでパミールを越えてフェルガナ盆地に達し,以後西トルキスタン,西アジア,南ロシア方面へと進むもの。…

【東西交渉史】より

…これらの初期の交流が,いかなるルートを利用して行われたものであるかは,あくまで推定の域を出ないが,前5世紀になると,ヘロドトス《歴史》に,黒海の北岸地方から東進して,ボルガ川,ウラル山脈を横切り,アルタイ山脈を経てさらに東方ないし東南方へと進む東西交通の一つの幹線ルートが明瞭に記録されている。この,北方の草原の遊牧地帯を東西に横断する交通路は,一般に,〈草原の道〉〈ステップ・ルート〉などと呼ばれるが,おそらく前5世紀以前から,ギリシア商人によって毛皮,金などの運搬路として利用されていたものであろう。またこのルートを経て,貴金属と動物意匠を特徴とする黒海北岸のスキタイ文化(前6~前3世紀中心)が東方へと伝播し,前3世紀の匈奴の興隆を促したにとどまらず,匈奴を仲介として,古代中国の軍事技術(騎馬戦術)や銅器の様式などにも種々の影響を及ぼしたことは,このルートの持った文化交流史上の重要性を物語る。…

【遼】より

…これに伴い貨幣経済が進み,流通面にも好影響をあたえ遼国の経済情勢は急激に好転した。そればかりでなく遼朝は歳幣によって宋から買った物資を草原の道に通じ,西方貿易によって大きな利益をあげ,遊牧地帯での政治的優越性をも確保した。しかし遼の末期道宗の後半ごろからは,種々の機構の増大や,宮廷貴族の豪奢(ごうしや)な生活や仏教寺院の建立,辺境の反乱などに対する出費により財政は破綻していった。…

※「草原の道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」