ルート(読み)るーと(英語表記)Elihu Root

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ルート」の意味・わかりやすい解説

ルート
るーと
Elihu Root
(1845―1937)

アメリカの法律家、政治家。ニューヨーク州クリントンに生まれる。ハミルトン大学、ニューヨーク大学を卒業後、法律事務所を開き、弁護士として成功を収めた。その後、政界に転じ、第25代大統領マッキンリーの要請で、1899年から1904年まで軍事長官を務める。この間、軍制改革に着手、軍事大学校を創設した。1905年、今度は第26代大統領T・ルーズベルトに要請されて国務長官に就任、1909年まで務めた。国務長官時代、彼は国際協力、世界平和に心を砕き、中南米諸国との友好関係を築き、1908年には日本との間に高平‐ルート協定を締結し、中国の門戸開放、日本人移民の保護など、日米間の緊張緩和に努めた。1909年から1915年まで上院議員となった。また、1910年にハーグの常設国際仲裁裁判所の判事についている。このような国家間の紛争調停に活躍したことが評価され、1912年のノーベル平和賞が授与された。その後、1921年のワシントン海軍軍縮会議では全権委員を務めた。そのほか、カーネギー国際平和財団の初代理事長に選ばれている。

[編集部]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ルート」の意味・わかりやすい解説

ルート
Root, Elihu

[生]1845.2.15. アメリカ,ニューヨーク,クリントン
[没]1937.2.7. アメリカ,ニューヨーク
アメリカの弁護士,政治家。 1867年ニューヨーク大学より法学学位を取得し,会社顧問弁護士として活躍後,T.ルーズベルト親交を結び法律顧問となる。 W.マッキンレー,ルーズベルト両政権で陸軍長官をつとめ (1899~1903) ,アメリカ=スペイン戦争終結に努力したほか,フィリピンでの軍政統治を確立した。また配置転換などの軍制改革を行なって近代化を進めた。ルーズベルト政権の2期から 1909年まで再び国務長官をつとめ,中南米諸国を訪問,第2回ハーグ国際平和会議への出席に同意させた。さらに日本との間では,アメリカへの移民の制限,太平洋地域おける日米の現状維持を確認し,中国の開放政策の尊重などを認めさせる一連協定 (→高平=ルート協定 ) を取付けた。 09~15年ニューヨーク州選出の上院議員。 21~22年ワシントン会議全権委員。晩年はカーネギー国際平和財団会長の職に力を注いだ。 1912年ノーベル平和賞を受賞。

ルート
Root, John Wellborn

[生]1850.1.10. ランプキン
[没]1891.1.15. シカゴ
アメリカの建築家。 1869年ニューヨーク大学土木工学科卒業,シカゴの建築会社の製図技師となる。 73年 D.バーナム共同で建築設計事務所を開設し,同市の高層建築発展寄与。 93年のシカゴ万国博覧会委員会の顧問建築家となったが,実現をみずに夭折。機能的で幾何学的な形を追求し,伝統的な建築常識を破ったシカゴ派の先駆的存在。手がけた作品はモンタウク・ビル (1882) ,ルッケリ (84~86) ,モナドノック・ビル (89~91) など。

ルート

平方根」のページをご覧ください。

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