日本歴史地名大系 「草尾新田」の解説 草尾新田くさおしんでん 大阪府:堺市草尾新田[現在地名]堺市草尾・中茶屋(なかちやや)・大美野(おおみの)西(にし)村の南に位置し、西側を西高野街道が通る。河内国丹南郡に属する。東西約三町・南北約二〇町の広大な地域をもつ(延享五年「河州丹南郡草尾新田明細帳」児山家文書)。元禄中頃大野芝(おおのしば)の開発を幕府より許可された太田新蔵・浅田喜兵衛より同一二年(一六九九)五月、和泉国大鳥郡草部(くさべ)村の豪農大塚吉右衛門と同郡踞尾(つくのお)村の豪農北村六右衛門が譲り受け両者が開発請負人となって同年より開発に着手、同一五年に完了した。開発請負人の出身村から一字ずつとって草尾新田と名付けられた。大塚・北村の両者が譲り受けた地目には二種類あって、一つは「古畑」で三九町余、ほかは「芝地」八〇町余であった。それぞれ反当りの代銀は異なるが、金二千六九両二分と銀一三匁八分が支払われた(享保一八年「草尾新田由来并年々聞書」同文書)。「古畑」は近隣五ヵ村の百姓がかつて開墾したがすでに荒地となっていたと思われる地目で、元禄一三年の勘定によれば内訳は高松(たかまつ)村分二〇町余・丈六(じようろく)村分一三町余・西村分一町余・西方寺(さいほうじ)村分一町余・三軒家(さんげんや)(屋)村分二町余である(堺市史続編)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by