草鹿任一(読み)クサカ ジンイチ

20世紀日本人名事典 「草鹿任一」の解説

草鹿 任一
クサカ ジンイチ

明治〜昭和期の海軍中将



生年
明治21(1888)年12月7日

没年
昭和47(1972)年8月24日

出生地
石川

学歴〔年〕
海兵〔明治42年〕卒,海大〔大正10年〕卒

経歴
砲術の専門家で、昭和13年支那方面艦隊参謀長、14年海軍教育局長などを経て、太平洋戦争開戦時は海軍兵学校長。17年南東方面艦隊長官。孤立無援ラバウルで自給自足体制を敷き、2年10カ月の籠城生活を送った。戦後製本業を営むかたわら、ラバウル方面遺族の相互援助遺骨収集を行い、軍人恩給復活に尽力。また大和会を作り、日本精神復興を志した。37年軍恩連盟全国連合会名誉会長に就任

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「草鹿任一」の意味・わかりやすい解説

草鹿任一
くさかじんいち

[生]1888.12.7. 石川
[没]1972.8.24. 東京
海軍軍人。 1909年海軍兵学校,21年海軍大学校卒業。『扶桑艦長,砲術学校長,第1航空戦隊司令官などを歴任。 40年中将。 41年海軍兵学校校長,42年第 11航空艦隊司令長官。 42年南東方面司令長官。人格高潔な指揮官として最も困難な戦局部下を統率し,太平洋戦争終了にいたるまでラバウル要塞の籠城を完遂,十数万の将兵を復員させた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「草鹿任一」の解説

草鹿任一 くさか-じんいち

1888-1972 明治-昭和時代前期の軍人。
明治21年12月7日生まれ。支那方面艦隊参謀長,海軍兵学校校長などをへて,昭和17年南東方面艦隊長官。海軍中将。18年基地ラバウルが連合軍に包囲され,終戦まで現地で籠城(ろうじょう)した。戦後は遺族の援助,遺骨収集などにつくす。昭和47年8月24日死去。83歳。石川県出身。海軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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