荒木与次兵衛(初代)(読み)あらき・よじべえ

朝日日本歴史人物事典 「荒木与次兵衛(初代)」の解説

荒木与次兵衛(初代)

没年:没年不詳(没年不詳)
生年:寛永14?(1637)
元禄以前の上方を代表する立役の歌舞伎役者。道外形斎藤与五郎の子。役者としての活躍だけではなく,大坂堀江に芝居を開発し,生涯に何度も座本を勤めた。当たり芸は続き狂言の始めと伝えられる「非人敵討」で,武道事は得意であったが濡れ事は不評であった。元禄に入ると芸風の古風さを指摘する評判が多くなる。宝永になるとその年齢から親仁形に転じ,宝永4(1707)年刊の評判記に名を載せたのを最後に,以後劇界から姿を消す。興行や後輩の育成などへの尽力を考えると,元禄歌舞伎の隆盛の土台を作った人物であるといえよう。2代目以後天保まで5代を数えるが名優はいない。<参考文献>『歌舞伎評判記集成』1期

(北川博子)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「荒木与次兵衛(初代)」の解説

荒木与次兵衛(初代) あらき-よじべえ

1637-1701* 江戸時代前期の歌舞伎役者。
寛永14年生まれ。役者で作者でもあった福井弥五左衛門(やござえもん)に師事。寛文4年弥五左衛門作の「非人敵討(ひにんかたきうち)」を演じ名声をえる。武道と手負事(ておいごと)を得意とした。この名は江戸後期まで5代をかぞえるが,初代のみ有名。元禄(げんろく)13年12月16日死去。64歳。大坂出身。初名は十木枡蔵。

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