荒木元融(読み)あらき・げんゆう

朝日日本歴史人物事典 「荒木元融」の解説

荒木元融

没年:寛政6.4.18(1794.5.17)
生年享保13(1728)
江戸中期の画家通称為之進。字は士長。号は円山長崎商家に生まれる。石崎元徳に師事し,さらにオランダ人から洋風画法を学んだという。同姓であった荒木元慶の養子となり,明和3(1766)年元慶辞職ののち,その役を受けて唐絵目利兼御用絵師となる。天明8(1788)年に長崎に来た司馬江漢は元融を訪れ,その絵を「一向の下手」と『西遊日記』で酷評しているが,油絵やガラス絵の知識を求めて得られなかったためか。子の石崎融思らを指導した。作品に「水亭囲碁図」「双鯉図」(ともに神戸市立博物館蔵)など。

(佐藤康宏)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「荒木元融」の意味・わかりやすい解説

荒木元融
あらきげんゆう

[生]享保18(1733).長崎
[没]寛政11(1799).長崎
江戸時代中・後期長崎派画家。字は子長,通称為之進。号は円山。荒木元慶の養子となり,明和3 (1766) 年唐絵目利 (からえめきき) 職を継ぐ。幼少より経学,詩文を学び,石崎元徳について絵を描く。出島在留のオランダ人について西洋画法を学んだ記録があるが,洋風画の遺品はない。主要作品『水亭囲棋図』『双鯉図』。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「荒木元融」の解説

荒木元融 あらき-げんゆう

1728-1794 江戸時代中期の画家。
享保(きょうほう)13年生まれ。石崎元徳(げんとく)に師事し,洋風画をオランダ人にまなぶ。長崎の荒木元慶(げんけい)の養子となり,明和3年唐絵目利(からえめきき)兼御用絵師をつぐ。門下に実子石崎融思,養子荒木如元(じょげん)がいる。寛政6年4月18日死去。67歳。字(あざな)は士長。通称は為之進。号は円山。作品に「水亭囲碁図」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の荒木元融の言及

【荒木如元】より

…江戸後期の長崎の洋風画家。もと一瀬氏で,唐絵目利(からえめきき)職の荒木元融(1728‐94)に絵を学び,その養子となって元融の職をついだが,短期間で辞職し,再び一瀬氏にもどった。洋風画は長崎系洋風画の先駆若杉五十八から学んだものと想像される。…

※「荒木元融」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、和歌山県串本町の民間発射場「スペースポート紀伊」から打ち上げる。同社は契約から打ち上げまでの期間で世界最短を目指すとし、将来的には...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android