荷田春満(かだあずままろ)(読み)かだあずままろ

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

荷田春満(かだあずままろ)
かだあずままろ
(1669―1736)

江戸中期の国学者。氏は羽倉(はくら)、通称は斎宮(いつき)。京都の伏見稲荷(ふしみいなり)神社の神官である荷田信詮(のぶあき)の二男として生まれる。家督は弟の信名(のぶな)が長兄信友(のぶとも)の養子となって継ぎ、春満は学問に励んだ。荷田家には神道と歌学の伝統があり、彼は荷田家の学問の宣伝と興隆とを目ざしていた。1697年(元禄10)に妙法院宮に出仕したが、2年後には致仕して江戸に出、幕府から古書籍の調査鑑定や注釈などを依頼されるようになり、学者としての名声を得た。1723年(享保8)6月に京都へ戻り、その後元文(げんぶん)元年7月2日、68歳で病死するまで、伏見の地で古典研究に従事した。甥(おい)の在満(ありまろ)を養子とし、江戸での荷田学の宣伝活動にあたらせた。

 春満の学問は、古語の研究によって、古義を明らかにするという立場であった。国学の学校を創設したい熱意を表した『創学校啓文』は、春満晩年のものと推察される。賀茂真淵(かもまぶち)は晩年の春満の弟子である。春満は病弱でもあったが、きわめて禁欲的道徳主義で、生涯恋の歌を詠まなかったという逸話がある。賀茂真淵、本居宣長(もとおりのりなが)とともに「国学の三大人(うし)」と数えたのは平田篤胤(あつたね)である。著書に『万葉集童蒙抄(どうもうしょう)』『伊勢(いせ)物語童子問』など。墓所は京都市伏見区深草墓園にある。

[萱沼紀子]

『大久保正著『江戸時代の国学』(1963・至文堂)』


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