菅原古墳群(読み)すがはらこふんぐん

日本歴史地名大系 「菅原古墳群」の解説

菅原古墳群
すがはらこふんぐん

[現在地名]清里村菅原・岡野町・荒牧

菅原の字天神林・菅原、岡野町(おかのまち)の字諏訪・上岡嶺・大嶺、荒牧(あらまき)の字嶺田・上岡嶺にまたがる。古墳群のある岡嶺(おかみね)丘陵は東頸城丘陵の末端が断層によって分離したもので、丘陵北を櫛池(くしいけ)川が西流、南に式内社菅原神社が鎮座する。前方後円墳を含む一〇八基があったが、大半は開墾などにより湮滅し、現存する三一基も、東側丘陵斜面に分布するものと、前方後円墳のみで石室・封土の完存するものはない。発掘調査は明治四二年(一九〇九)・昭和四年(一九二九)・同五年に行われ、計七基の調査記録が残される。円墳が主体をなし、河原石積みの高さの低い横穴式石室をもつ。出土遺物は鉄鏃・直刀・刀子・具・勾玉・碧玉・水晶切子玉・ガラス小玉・金環・銀環・轡・鉄さび・人骨・朱などのほかに、後期に属する土師器・須恵器破片などが残存していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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