知恵蔵 「菅原文太」の解説
菅原文太
早稲田大第二法学部を中退後、ファッションモデルなどを経て1958年に新東宝の「白線秘密地帯」で映画デビュー。新東宝が倒産した後、松竹を経て67年に東映へ移り、任侠(にんきょう)映画の「まむしの兄弟」シリーズ全9作などに出演。73年以降は広島でのやくざ抗争を実録風に描いた「仁義なき戦い」、「新仁義なき戦い」合わせて8作に主演した。75年に始まった「トラック野郎」シリーズ全10作では、長距離トラック運転手役で人情劇を魅力的に演じ、「デコトラ」ブームを盛り上げた。73年度キネマ旬報主演男優賞、75年度ブルーリボン主演男優賞などを受賞している。
80年のNHK大河ドラマ「獅子の時代」で主演、その後は主演、助演を問わず、重みのある役柄を映画やドラマで印象深く演じた。2001年に長男の加織が鉄道事故で亡くなったことで一時仕事をセーブしたが、03年に映画「わたしのグランパ」で復帰し、9年ぶりに主演を務めた。山田洋次監督の「東京家族」にキャスティングされていたが、11年の東日本大震災をきっかけに降板した。
独特のしわがれ声が魅力となり、声優やナレーターとしてアニメ映画やゲームなどにも数多く参加した。01年のスタジオジブリ製作のアニメ映画「千と千尋の神隠し」(宮崎駿監督)では千尋を厳しくも優しく支える釜爺の声を、12年の「おおかみこどもの雨と雪」(細田守監督)では母子に農業を指導する韮崎の声を担当し、これが遺作となった。
1980年代以降は社会貢献活動などにも情熱を注ぎ、身寄りのない在日韓国・朝鮮人のための老人ホーム建設を進めた。長男が在籍した学校法人「自由の森学園」の理事長を務めたこともある。農業に携わりたいと98年から岐阜県に移住、2009年には山梨県に土地を借りて農業生産法人を設立し自然農法による野菜生産を行った。故郷・仙台を中心に東日本大震災の被災地支援に尽力し、07年に発症した膀胱(ぼうこう)がんの体験や、原発や特定秘密保護法などの問題についても精力的に発言していた。
(若林朋子 ライター/2014年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報