菅原文太(読み)すがわらぶんた

百科事典マイペディア 「菅原文太」の意味・わかりやすい解説

菅原文太【すがわらぶんた】

映画俳優。宮城県仙台市出身。父親は河北新報記者で画家詩人でもあった。1949年新制の仙台第一高等学校に入学。同校卒業後,早稲田大学第二法学部に進むが,1955年中退。大学在学中に旗揚げ直後の劇団四季に1期生として入団,演劇活動を行うとともに岡田真澄らと日本初の男性モデルクラブを設立,ファッションモデルとして活動した。1958年新東宝入社,同年映画デビュー。1961年新東宝倒産後,松竹に移籍したが女性映画の脇役が続き,1967年任侠ヤクザ映画路線で活力を回復していた東映に移籍,1969年《現代やくざ 与太者の掟》で初主演を果たした。1973年から始まる東映が任侠路線から実録路線に転じた《仁義なき戦い》シリーズで高倉健と並ぶスターの地位を獲得した。東映でのヒット作は他に1975年から始まる《トラック野郎》シリーズがある。1980年にはNHK大河ドラマ《獅子の時代》に主演,以後数多くTVドラマに出演した。晩年は日本の農業問題をはじめ,環境問題にも積極的に取り組み,反原発と反戦についても発言を続けた。2014年11月転移性肝癌による肝不全により死去

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「菅原文太」の解説

菅原文太 すがわら-ぶんた

1933-2014 昭和後期-平成時代の俳優。
昭和8年8月16日生まれ。ファッションモデルなどをへて昭和33年新東宝映画「白線秘密地帯」でデビュー。のち松竹をへて42年東映にはいる。「仁義なき戦い」「トラック野郎」などのシリーズに主演し,東映の任侠・やくざ映画路線のスターとして活躍。平成3年自由の森学園理事長。東日本大震災のあと,脱原発などの社会問題にも取り組んだ。平成26年11月28日死去。81歳。宮城県出身。早大中退。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「菅原文太」の解説

菅原 文太 (すがわら ぶんた)

生年月日:1933年8月16日
昭和時代;平成時代の俳優

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む