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菅実秀 すげ さねひで

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

菅実秀 すげ-さねひで

1830-1903 幕末-明治時代の武士,官吏。
文政13年1月8日生まれ。出羽(でわ)鶴岡藩(山形県)藩士。戊辰(ぼしん)の敗戦処理に手腕を発揮し,家老にすすむ。このとき西郷隆盛の厚遇で藩の危機がすくわれたことを知る。以後西郷に師事し鹿児島藩の諸政策を参考にした。大泉藩権大参事,酒田県権参事を歴任。西南戦争後,「南洲翁遺訓」を刊行。明治36年2月17日死去。74歳。通称は善太右衛門。号は臥牛(がぎゅう)。

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朝日日本歴史人物事典の解説

菅実秀

没年:明治36.2.17(1903)
生年:天保1.1.8(1830.2.1)
幕末明治期の庄内藩(山形県)中老,酒田県権参事。号は月山の異名臥牛。実則の子として出羽国鶴岡に生まれた。文久3(1863)年藩主酒井忠篤のもと,松平親懐と江戸市中取り締まりに当たる。戉辰の戦後処理では,新政府に移封命令を撤回させる敏腕を発揮。明治2(1869)年大泉藩(酒田県)権参事,同7年辞任。私淑する西郷隆盛没後『南洲翁遺訓』を編集。士族救済のための松ケ岡開墾をはじめ銀行,米取り引き,製糸などの事業を興す。「昨日の我にてはすまぬ」の言の通り行動の人であった。<参考文献>赤沢経言編『臥牛先生行状』,加藤景重編『臥牛先生遺教』,加藤省一郎『臥牛菅実秀』

(三井美恵子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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