菊谷栄(読み)キクヤ サカエ

20世紀日本人名事典 「菊谷栄」の解説

菊谷 栄
キクヤ サカエ

昭和期の脚本家,洋画家



生年
明治34(1901)年

没年
昭和12(1937)年11月10日

出生地
青森県油川村(現・青森市)

本名
菊谷 栄蔵

学歴〔年〕
青森中〔大正9年〕卒,川端画学校,日本大学芸術科

経歴
19歳で画家を志して上京、川端画学校で学ぶ傍ら、日大芸術科で演劇研究をする。昭和3年白日会に入選し、同年青森の松木屋デパートで個展を開く。青森市の洋画の草分け的存在となる。5年浅草新カジノフォーリーに舞台装置家として参加。6年ピエール・ブリアント旗揚げで文芸部に所属。エノケン(榎本健一)の全盛期(昭和7〜12年)の脚本を手がけレビュー作家として知られた。主な作品に「リオ・リタ」「カルメン」「夏のデカメロン」「民謡六大学」「助六」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「菊谷栄」の解説

菊谷栄 きくや-さかえ

1901-1937 昭和時代前期の劇作家,演出家
明治34年生まれ。昭和5年浅草新カジノフォーリーの舞台装置を担当。7年エノケン(榎本健一)一座の文芸部員となり話題作を発表,歌うエノケンの魅力をひきだした。昭和12年11月10日中国で戦死。37歳。青森県出身。日大卒。本名は栄蔵。作品に「日本の与太者」「民謡六大学」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の菊谷栄の言及

【軽演劇】より

…その後〈ムーラン〉は,さらに作家として中江良夫,金貝省三,小沢不二夫ら,俳優として左卜全(1894‐1971),明日待子,小柳ナナ子,有島一郎,千石規子らの俳優を育てた。かたや〈ピエル・ブリアント〉では,菊谷栄,サトウ・ハチロー(1903‐73),和田五雄らが喜劇を書き,俳優陣に柳田貞一,武智豊子(〈ムーラン〉から移籍)らがいた。 一方,31年に日本にも登場した本格的トーキーによって,サイレント映画の弁士が失職。…

※「菊谷栄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android