華蔵院跡(読み)けぞういんあと

日本歴史地名大系 「華蔵院跡」の解説

華蔵院跡
けぞういんあと

[現在地名]西吉野村大字和田

和田わだ西方の丘陵上に寺跡がある。正平年中(一三四六―七〇)堀信増が黒木くろき御所を造営して後村上天皇を迎えた所とも、後醍醐天皇の皇居跡とも伝える。「大和志」は楠木氏から寄進されたという古鐘があり、「河内国高福寺鐘 康永元年八月鋳」の刻銘がみられると記す。寺跡に北畠親房の墓と伝える五輪塔がある。銘文から、文中二年(一三七三)一〇月、二五人の千部法華経衆の造立になる供養塔であることが知られるが、親房の墳墓とする確証はない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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