萩平村(読み)はぎのひらむら

日本歴史地名大系 「萩平村」の解説

萩平村
はぎのひらむら

[現在地名]旭町東萩平(ひがしはぎのひら)

矢作川の支流沢中(さわなか)川の上流に位置。東は大坪(おおつぼ)村、南は現足助(あすけ)町、西は池島(いけじま)村・市平(いちだいら)村、北は篠戸(ささど)村に接する。集落は小起伏面上の山麓に点在。中央を現県道笹戸―稲武線が東西に通る。御洲原(おすはら)城跡が小起伏面の山上にある。また通称お洲原さんとよぶ御鍬(おくわ)神社を祀る。このほか村域内五ヵ所に宝篋印塔・五輪塔などがある。


萩平村
はぎのひらむら

[現在地名]小原村西萩平(にしはぎのひら)

犬伏(いぬぶせ)川の上流にあり飯野(いいの)(現藤岡町)から篠平(ささだいら)―仁木(にぎ)―一(いち)ノ野(の)を通り明智(あけち)(現岐阜県)に抜ける中央(ちゆうおう)道が通る。寛永郷帳では岡崎藩領、明治元年(一八六八)西尾藩領である。慶安三年(一六五〇)三州賀茂郡小原之内岡崎領萩平村検地帳(鈴木早苗氏蔵)には屋敷八筆の面積と持主が書上げられている。


萩平村
はぎだいらむら

[現在地名]神川町二(に)ノ宮(みや)

金鑽(かなさな)村の北に位置し、西は池田(いけだ)村、北は賀美(かみ)郡小浜(こばま)村。天正八年(一五八〇)七月二日、長井政実は上野国三波川(さんばがわ)(現群馬県鬼石町)の飯塚六左衛門尉に「はき平真仁田分」四貫文など計三〇貫文の地を宛行っている(「長井政実判物」飯塚文書)。


萩平村
はぎひらむら

[現在地名]豊橋市石巻萩平(いしまきはぎひら)町

中山(なかやま)村の北西、別所(べつしよ)街道に沿っている。西郷(さいごう)七ヵ村のうちである。西は同じく西郷七ヵ村の一の平野(ひらの)村。村域内の日吉(ひよし)神社は、三河国内神名帳に「従五位上 佐井天神」とある。西郷七ヵ村の産土神とされている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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