萩野昇(読み)ハギノ ノボル

20世紀日本人名事典 「萩野昇」の解説

萩野 昇
ハギノ ノボル

昭和期の医師 萩野病院院長。



生年
大正4(1915)年11月20日

没年
平成2(1990)年6月26日

出生地
富山県

学歴〔年〕
金沢医科大学〔昭和15年〕卒

学位〔年〕
医学博士

主な受賞名〔年〕
富山新聞文化賞〔昭和33年〕,富山県医師会表彰〔昭和43年〕,日本医師会最高優功賞〔昭和43年〕,厚生大臣感謝状〔昭和43年〕,北日本文化賞〔昭和43年〕,婦中町特別感謝状〔昭和43年〕,朝日賞〔昭和44年〕,カロリンスカ賞〔昭和47年〕

経歴
昭和21年中国戦線から復員し、富山県婦中町の萩野病院を継ぐ。イタイイタイ病と取組み、36年その原因が三井金属鉱山神岡鉱業所から神通川に流れたカドミウムにあると指摘。当初は因果関係がはっきりしないとして省みられなかったが、43年厚生省が渋々その因果関係を認めて公害病に指定。公害運動の先鞭をつけた。著書に「イタイイタイ病との闘い」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学位 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「萩野昇」の解説

萩野昇 はぎの-のぼる

1915-1990 昭和時代の医師。
大正4年11月20日生まれ。富山県の萩野病院長。戦後,神通(じんずう)川流域で発生した奇病をイタイイタイ病と名づけ研究。昭和36年吉岡金市,小林純協力で,三井金属鉱業神岡鉱業所から排出されたカドミウムによる公害病であることをつきとめた。平成2年6月26日死去。74歳。長崎県出身。金沢医大卒。著作に「イタイイタイ病との闘い」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「萩野昇」の解説

萩野 昇 (はぎの のぼる)

生年月日:1915年11月20日
昭和時代の医師。萩野病院院長
1990年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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