萱瀬村(読み)かやぜむら

日本歴史地名大系 「萱瀬村」の解説

萱瀬村
かやぜむら

[現在地名]大村荒瀬町あらせまち原町はらまち宮代町みやだいまち田下町たじもまち中岳町なかだけまち黒木町くろきまち

福重ふくしげ村の東、大村の北東に位置し、北にこおり岳がある。郡川の上流域にあたり、萱瀬川には鮎帰あゆかえりの滝がある。中世より萱瀬などとみえ、鳥甲とりかぶと城が築かれていた。応永二二年(一四一五)銘の宝篋印塔があり、真門・善妙・英可・鏡図・道泉・祐斎ら一三名が記される。荒瀬山下やました遺跡に文安五年(一四四八)銘の五輪塔、文明一二年(一四八〇)銘などの宝篋印塔がある。永正一六年(一五一九)銘の五輪塔には妙源禅尼とみえる。愛宕大権現に安置される地蔵尊(磨崖仏)は天文一六年(一五四七)田中道学の逆修碑として建立されたもので、天正二年(一五七四)キリシタンによる焼打ちでも難を逃れたという。元亀三年(一五七二)七月三〇日、大村純忠が西郷純尭および後藤貴明・有馬鎮純・松浦隆信軍勢居城三城さんじよう城を攻撃された際、郡村や松原まつばらの者とともに、萱瀬の一瀬内蔵助・峰采女・峰弾正・庄野善助・山口右衛門らが援軍に参じたという(大村家覚書)。年未詳四月八日の有馬仙岩・同義直・同義純連署書状写(福田文書)に萱瀬とみえ、有馬氏は福田謙次に萱瀬で敵が現れたら衆中ともに算段怠りなく対処するよう指示している。年未詳三月二〇日の大村純忠書状写(同文書)によれば「萱瀬境尾」で伊佐早衆との合戦があり、大村の軍勢が一〇〇余の首を討取っている。天正五年一二月大村純忠の代に肥前佐賀の龍造寺隆信が大村や萱瀬などを攻撃してきた際、菅牟田すがむた砦は峰弾正・峰善助・一瀬半左衛門ら三〇〇人が守護したという(大村郷村記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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