葎谷村(読み)むぐらだにむら

日本歴史地名大系 「葎谷村」の解説

葎谷村
むぐらだにむら

[現在地名]栃尾市葎谷

塩谷しおたに川の支流葎谷川に沿って谷間に立地。北は平中野俣ひらなかのまた村、西は滝之口たきのくち村、南は山葵谷わさびだに村、東は蒲原かんばら下田しただ(現南蒲原郡下田村)に接する山村。古くから越後会津を結ぶ通過点として重要な役割を果していた。永禄三年(一五六〇)一〇月吉日の貫屋家兼売券案(来田文書)に「むくら谷」がみえ、伊勢御師の檀那が所在した。口碑によると、天正(一五七三―九二)の末頃、山伏の六部が厨子に入った羽黒様を背負って葎谷に来て、与惣右衛門のところで草鞋を脱いだ。この六部がのちの栃尾組割元酒井番右衛門の先祖で、羽黒様を安置したのが明治四〇年(一九〇七)まで羽黒神社があった所という。


葎谷村
もぐらだにむら

[現在地名]下田村葎谷

守門すもん川左岸、標高およそ二四〇メートルの地にある。集落森町もりまち村から八十里越はちじゆうりごえに至る道に沿う。北は早水はやみず村、南西遅場おそば村。葎谷番所通行切手発行を下田大肝煎に命じた元和四年(一六一八)の堀直寄下知状(堀文書)に「もくら谷村」とみえる。正保国絵図に「蒲谷村」とあるのが当村と思われる。正保(一六四四―四八)初年の物成高を記した「初免石」(「村松小史」渡辺芳江氏蔵)では九二石三斗余・家一九戸。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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