改訂新版 世界大百科事典 「蒙古連合自治政府」の意味・わかりやすい解説
蒙古連合自治政府 (もうこれんごうじちせいふ)
Měng gǔ lián hé zì zhì zhèng fǔ
1939年,内モンゴル西部に成立した日本の傀儡(かいらい)政権。蒙疆(もうきよう)連合自治政府ともいう。中華民国成立以降,内モンゴルでは王公・青年層による自治運動が盛んになったが,1930年代に始まった日本の中国東北地区への侵略,蔣介石政権の弱体化とともに,大きな転換点にさしかかる。こうしたなかでシリン・ゴール(錫林郭勒)盟スニット右旗の王公デムチュクドンロブ(徳王)が自治運動の指導者として登場,内モンゴル西部地区を糾合し,蔣介石政権に高度自治を要求した。一方すでに〈満州国〉を建国していた日本の関東軍はこの動きに着目し,接近するようになった。日中戦争が勃発すると,進撃してきた関東軍の支持のもとに,1937年10月徳王は〈蒙古連盟自治政府〉を組織した。ついで39年9月,日本の傀儡政権である察南(チャハル省南部)・晋北(山西省北部)両自治政府と合体し,蒙古連合自治政府が成立した。
徳王は内モンゴルの統一と高度自治を構想していたが,日本の対中国政策のため,晋北政権が加わることにより人口の圧倒的多数は漢族が占め,また内モンゴル東部は満州国に編入されているなど矛盾に満ちていた。さらに政府の実権は日本人が握り,徳王の意図に反して実態としては日本の一傀儡政権にすぎなかった。太平洋戦争開始とともに,日本の搾取は強まり,日本の敗戦が近づくと徳王は蔣政権やモンゴル人民共和国との接触を試みたが,日本の敗戦とともに政権は崩壊した。
執筆者:中見 立夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報