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徳王 とくおう De Wang

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

徳王
とくおう
De Wang

[生]1902. シリーンゴル,スニト
[没]1966
モンゴルの政治家。徳王は漢語名。本名デムチュクドンロブ Demchukdongrob (徳穆楚克棟魯布) 。 1919年スニト旗の旗長となりジャサク親王を襲名。 29年察哈爾 (チャハル) 省政府委員,モンゴル地方政府委員会秘書長。

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デジタル大辞泉の解説

とく‐おう〔‐ワウ〕【徳王】

[1902~1966]中国内モンゴルの政治家。王公の家庭に生まれ、内モンゴルの自治権獲得運動に従事した。1939年日本軍の援助下に蒙古連合自治政府を樹立し、主席に就任。日本の敗戦後は反共運動を行い、外モンゴルに逃亡したが、捕らえられ中国に送還された。モンゴル名、デムチュクドンロブ。

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百科事典マイペディアの解説

徳王【とくおう】

中国,国民政府時代の内モンゴルの政治家。モンゴル名デムチュクドンロブ。内モンゴルの王族出身。内モンゴルの自治獲得をはかり,1933年内モンゴル王公会議を開催。国民政府に自治を要求したが失敗。
→関連項目綏遠事件

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

徳王 とくおう

1902-1966 中国,内モンゴルの政治家。
光緒(こうしょ)28年2月8日生まれ。有力部族の旗長(ジャサク)の子。1919年親王となる。国民政府への内モンゴルの自治拡大要求がいれられず,1937年日本の軍部と接近し蒙古連盟自治政府を樹立,翌年主席。日本の敗戦後は蒋介石と和解,反共活動を展開するが,中華人民共和国成立後逮捕され,一時服役する。のちゆるされて内モンゴル人民委員会参議。1966年5月23日死去。65歳。本名は徳穆楚克棟魯普(デムチユクドンロブ)。

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世界大百科事典 第2版の解説

とくおう【徳王 Dé wáng】

1902‐66
現代内モンゴルの政治家,独立運動家。正しくは,デムチュクドンロブ(徳穆楚克棟魯普)。徳王は通称。字は希賢。有力部族の王の子として生まれ,若いころから内政改革と自治拡大に努めたが,その〈高度の自治〉を求める運動は,日本の大陸侵略と呼応する結果となり,1937年以後あいついで設立された日本の内モンゴル傀儡(かいらい)政権の要職を占めるにいたった。日本の敗退後は,蔣介石およびアメリカ勢力に接近し,さらに蔣介石の敗走後は,一時モンゴル人民共和国に入ったが,やがて北京に送還され,服役後政治的復活を遂げた。

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大辞林 第三版の解説

とくおう【徳王】

1902~?) 内モンゴルの政治家。日中戦争開始後の1937年、日本軍の援助下に蒙古連盟自治政府を発足させ、39年蒙古連合自治政府をつくり、主席となった。49年モンゴル人民共和国に逃亡し逮捕された。モンゴル名、デムチュクドンロブ。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

徳王
とくおう / トーワン
(1902―1966)

内モンゴルの政治家。モンゴル名はデムチュクドンロブDemchukdonggrub。シリンゴル盟のジャサク(旗長)の家に生まれる。1919年に父の死去に伴い17歳で旗長を継ぎ、北京(ペキン)で教育を受け、1933年国民政府に対して内蒙古(うちもうこ)の自治を主張したがいれられず、日本と結び、1938年蒙古連盟自治政府主席となった。日本の敗北後、国共内戦期には反共活動に従事した。1952年新中国で監禁を受けたが、1963年に釈放され内モンゴル自治区に滞在していた。[加藤祐三]

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世界大百科事典内の徳王の言及

【蒙古連合自治政府】より

…中華民国成立以降,内モンゴルでは王公・青年層による自治運動が盛んになったが,1930年代に始まった日本の中国東北地区への侵略,蔣介石政権の弱体化とともに,大きな転換点にさしかかる。こうしたなかでシリン・ゴール(錫林郭勒)盟スニット右旗の王公デムチュックドンロブ(徳王)が自治運動の指導者として登場,内モンゴル西部地区を糾合し,蔣介石政権に高度自治を要求した。一方すでに〈満州国〉を建国していた日本の関東軍はこの動きに着目し,接近するようになった。…

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