蓮華谷
れんげだに
往生院谷の東に続く一画をいい、東は奥院に続く。蓮花とも書き、鎌倉時代の信堅院号帳に「蓮花谷、然云蓮華三昧院」とみえ、蓮華三昧院にちなむ。そのほか同帳には宝幢院・清浄心院・随心院・明王院などが記される。蓮華谷は明遍の始めた蓮華谷聖の集住していた所。宝幢院には足利義兼が入道して高野聖となり、勧進沙門法華房鑁阿と称して住んだという伝えがあり、近世には廃絶していたが宝幢院谷の名を残していた。文化一〇年(一八一三)の高野山細見絵図は恵光院の西側の通りに宝幢院谷と記す。そのほか支谷として谷の北部に清浄心院谷、蓮華谷の東に花折谷があり、前者にある清浄心院は滝口入道が高野聖となって入った寺とされ、花折谷には明遍が住した蓮華三昧院(現在は往生院谷の遍照光院が名跡をもつ)があった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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