足利義兼(読み)あしかがよしかね

精選版 日本国語大辞典 「足利義兼」の意味・読み・例文・類語

あしかが‐よしかね【足利義兼】

  1. 鎌倉時代武将。義康の子。号赤御堂殿。正治元年(一一九九)没。

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改訂新版 世界大百科事典 「足利義兼」の意味・わかりやすい解説

足利義兼 (あしかがよしかね)
生没年:1154-99(久寿1-正治1)

鎌倉前期の武将。父は義康,母は藤原季範長男範忠の女,室は北条時政の女。1180年(治承4)源頼朝挙兵に参じ,以後平家追討,奥州征討などに活躍。83年(寿永2)平家方であった藤原姓足利氏の滅亡後その所領を拡大,85年頼朝の推挙により上総介に任官勢威を誇った。95年(建久6)出家,法名鑁阿(ばんな)。足利市鑁阿寺の開基足利学校の創設者ともいわれる。
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朝日日本歴史人物事典 「足利義兼」の解説

足利義兼

没年:正治1.3.8(1199.4.5)
生年:生年不詳
鎌倉前期の武将。下野国(栃木県)簗田御厨司義康の子,母は熱田大宮司範忠の娘。三郎,兵衛尉,八条院蔵人。治承4(1180)年源頼朝の挙兵に応じ,源範頼軍の平家攻め,文治5(1189)年の源頼朝の奥州合戦に参陣して功をあげた。6年に藤原泰衡残党の大河兼任の乱が起こると,追討使となってこれを鎮圧した。文治1年頼朝の知行国である上総介に任ぜられた。以後,幕府の宿老として,北条時政の娘時子を妻とし,治承・寿永内乱期に滅亡した足利郡司足利俊綱・忠綱の遺領足利荘を継承して小山氏と並ぶ下野の大勢力となった。奥州合戦後に,平泉の寺院を模したと考えられる浄土式庭園を持つ樺崎寺を建立して,晩年はここに隠退した。同寺の赤御堂は義兼の廟所である。<参考文献>『近代足利市史』通史編上

(峰岸純夫)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「足利義兼」の意味・わかりやすい解説

足利義兼
あしかがよしかね
(?―1199)

鎌倉前期の武将。源氏に属し源義家(よしいえ)の曽孫(そうそん)で義康(よしやす)の子。母は熱田大宮司藤原季範(すえのり)の娘というから頼朝(よりとも)とは従兄弟(いとこ)。1180年(治承4)頼朝の挙兵に応じ、範頼(のりより)に従って西海に赴いて平氏を討って功をあげ、ついで奥州の藤原氏討伐にも活躍して頼朝の信頼を厚くした。その縁で北条時政(ときまさ)の娘で政子の妹を妻にしている。上総介(かずさのすけ)、遠江守(とおとうみのかみ)を歴任。1195年(建久6)頼朝の東大寺供養会(くようえ)に随伴し、感ずるところあって、そこで出家。法名は義称(ぎしょう)。上野(こうずけ)国(群馬県)足利に帰って邸内に持仏堂(後の鑁阿寺(ばんなじ))をつくった。卒去時が頼朝と同年の春。

[朧谷 寿]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「足利義兼」の解説

足利義兼 あしかが-よしかね

?-1199 平安後期-鎌倉時代の武将。
足利義康の子。源義家の曾孫。治承(じしょう)4年(1180)源頼朝の挙兵にくわわり,平氏追討に功をたて,奥州藤原氏征討にも活躍。頼朝に信頼され,北条時政の娘(政子の妹)を妻とした。のち出家し,下野(しもつけ)(栃木県)足利に隠居。足利学校の創設者ともいわれる。建久10年3月8日死去。通称は三郎,兵衛尉,八条院蔵人。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「足利義兼」の意味・わかりやすい解説

足利義兼
あしかがよしかね

[生]久寿1(1154)
[没]正治1(1199).3.8.
平安時代末期,鎌倉時代初期の武士。源義家の曾孫。源頼朝に属して平氏討伐,奥州藤原氏討伐に従軍。従四位下,上総介。北条時政の女婿。

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世界大百科事典(旧版)内の足利義兼の言及

【鑁阿】より

…大田荘の経営は,鑁阿一代の間は彼による請負の形で行われたが,彼の死後は高野山寺僧による知行となった。なお,彼を足利鑁阿寺の開基である足利義兼と同一人物であるとする説もあるが,確証はない。【細川 涼一】。…

※「足利義兼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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