日本大百科全書(ニッポニカ) 「蔡琰」の意味・わかりやすい解説
蔡琰
さいえん
(177?―?)
中国、後漢(ごかん)の女流詩人。字(あざな)は文姫(ぶんき)。陳留(河南省)の人。後漢の学者蔡邕(さいよう)の娘。父同様博学であった。最初の夫と死別したのち、後漢末の動乱の際に匈奴(きょうど)に捕らわれ、左賢王の妻となって2子を産んだ。12年後、蔡邕と親交のあった曹操(そうそう)が、邕に後継ぎがないことを痛み、琰を購(あがな)って帰国させ、のちに董祀(とうし)と再婚した。自らの数奇な生涯を歌った「悲憤詩」2首と「胡笳(こか)十八拍」が名高い。ともに、その真偽をめぐって古来より議論があるが、「悲憤詩」は唐の杜甫(とほ)の「北征」などに影響を与えたといわれる。
[根岸政子]
『内田泉之助著『漢詩大系4 古詩源 上』(1964・集英社)』