蔡鐸 さい-たく
1645*-1725* 琉球の歴史家。
尚賢王4年12月8日生まれ。蔡温(さい-おん)の父。那覇(なは)久米村の蔡家の養子。留学,進貢のために数回清(しん)(中国)にわたり,久米村の最高責任者総理唐栄司となる。琉球の外交文書集「歴代宝案」を編集し,琉球王国正史「中山(ちゅうざん)世鑑」の漢訳本「中山世譜」を完成させた。志多伯親方(うぇーかた)と称した。尚敬王12年12月16日死去。81歳。首里出身。本姓は金城(かなぐすく)。字(あざな)は天将。号は声亭。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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蔡鐸 (さいたく)
生年月日:1644年12月8日
江戸時代前期;中期の琉球の久米村役人;学者・文人
1725年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の蔡鐸の言及
【中山世譜】より
…歴代国王の治世を記した琉球の史書。1701年蔡鐸(さいたく)らによって編集された後(蔡鐸本),1724年その子[蔡温]により大幅な改訂が加えられ,その後も史官の手で書きつがれた(蔡温本)。正巻14,付巻7よりなる。…
※「蔡鐸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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