日本歴史地名大系 「藤ヶ谷村」の解説
藤ヶ谷村
ふじがやむら
九郎等跡」が闕所として相馬親胤に給与された。「相馬六
」や「□九郎」は後醍醐天皇方に荷担したため当地などを没収され、一族の親胤に与えられたものと思われる。応永二年(一三九五)の追筆のある南相馬郡等田数注進状案(同文書)には「中 ふちかやのむら上下十三丁一反」とある。地内の薬師堂には貞治三年(一三六四)銘の阿弥陀一尊の板碑が残り、同じく
藤ヶ谷村
ふじがたにむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報