日本歴史地名大系 「藤井寺村」の解説
藤井寺村
ふじいでらむら
現藤井寺市の西端、ミサンザイ古墳の北方に位置し、集落は
南北朝期から室町時代、当地はしばしば戦場となっており軍忠状や諸書に散見する。延元二年(一三三七)三月日の岸和田治氏軍忠状案(和田文書)に「同十日、細川兵部少輔、同帯刀先生等為大将軍、寄来古市之間、馳向野中寺東、防戦之処、逆類等引退之間、追懸藤井寺西、(中略)就中細川帯刀先生討死之時者、於藤井寺前大路」とみえ、河内国守護細川顕氏らが南朝楠木一党と
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報