20世紀日本人名事典 「藤井斉」の解説
藤井 斉
フジイ ヒトシ
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…1924年ごろから社会改革を行う決意を固め,28年茨城県に設立した立正護国堂で小沼正,菱沼五郎ら近村青年を指導した。30年には霞ヶ浦海軍飛行学校の藤井斉ら海軍青年将校と提携して非合法運動に路線転換する一方,陸軍青年将校の一派とも結んだ。十月事件計画に加わったが,これが露呈した後は藤井らと独自に軍部のクーデタを誘発する目的で要人暗殺を計画した。…
…この血盟団の首謀者井上日召は,1920年代後半,支配階級の腐敗,農村の窮乏,社会主義思想の影響の広がりに危機感を抱き,1928年以後,茨城県磯浜(現,大洗町)の立正護国堂にこもり,〈国家改造〉への決意を固め,付近の小学校教員,農村青年を同志に獲得。30年,藤井斉らの海軍急進派将校と提携するとともに,東京帝大生ら大学生にも影響を広げ,31年,十月事件に関与。十月事件後,陸軍側が直接行動から手をひくや,井上,藤井らはみずからだけの決起を決定。…
…1931年十月事件が不発に終わったのち,橋本欣五郎中佐ら幕僚将校は地方や外国に転勤させられ,幕僚将校に反感をもった隊付青年将校らは,荒木貞夫陸相のもとで国家改造が実現できるものと期待し,直接行動から離れていった。これに対して井上日召一派と藤井斉中尉ら海軍急進派青年将校は国家改造のための決起に固執し,はじめは32年2月11日の紀元節を期して政財界の要人を暗殺することを計画した。しかし上海事変が発生し藤井らが出征したため,まず井上一派が第1陣として〈一人一殺〉の要人暗殺を引き受け,血盟団事件をおこした。…
※「藤井斉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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