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上海事変 シャンハイじへん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

上海事変
シャンハイじへん

(1) 第1次  1932年上海における日本の謀略により日中両軍の間に起きた衝突事件。 31年9月満州事変が起ると,中国大陸全土に抗日運動が広がり,特に上海の情勢は急速に悪化した。日本軍は抗日運動の鎮圧,満州独立の陰謀から列国の注意をそらすことを目的に買収した中国人に日蓮宗の托鉢僧を狙撃させ,これを契機に 32年1月 28日には租界警備の日本海軍陸戦隊と中国十九路軍との間に戦闘が勃発,2月中旬には日本は陸軍を派遣 (合計3個師団余) ,3月上旬中国軍を上海付近から退却させ,5月停戦協定が成立して陸軍は撤兵した。

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デジタル大辞泉の解説

シャンハイ‐じへん【上海事変】

昭和7年(1932)1月、満州事変から世界の目をそらすため、日本の軍部が上海で起こした日中両軍の衝突事件。中国軍の頑強な抵抗にあい、5月に停戦協定締結。

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百科事典マイペディアの解説

上海事変【シャンハイじへん】

(1)第1次。1932年1月上海での日・中両軍衝突事件。日本軍部は満州事変に対する世界の注目をそらし中国の抗日運動を弾圧するため,日本軍部の謀略により上海市内で起こった中国人による日本人僧侶(そうりょ)の死傷事件を口実として上海占領を計画した。
→関連項目犬養毅内閣川島芳子

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世界大百科事典 第2版の解説

シャンハイじへん【上海事変】

(1)第1次 満州事変に関連して上海でおこった日中間の局地戦争柳条湖事件直後から上海でははげしい抗日運動が展開されたが,上海公使館付陸軍武官補佐官田中隆吉少佐らは,これを抑圧するとともに,〈満州国〉樹立工作から列国の目をそらすための謀略として,1932年1月18日買収した中国人に日本人托鉢僧を襲撃・殺傷させ,日中間の対立を一挙に激化させた。村井倉松上海総領事は呉鉄城上海市長に対し事件について陳謝,加害者処罰,抗日団体解散などを要求し,第1遣外艦隊の武力を背景として,27日最後通牒を発した。

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大辞林 第三版の解説

シャンハイじへん【上海事変】

(第一次)満州事変後の1932年(昭和7)1月、世界の耳目を満州国からそらせ、あわせて上海における排日運動の高まりをおさえるために、日本軍によって計画実行された日中間の衝突。一・二八事件。
(第二次)1937年八月(日中戦争開始の翌月)、日本軍が上海を攻撃し、全市を占領した事件。戦争拡大の契機となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

上海事変
しゃんはいじへん

日中間の戦争で、第一次、第二次にわたる。[岡部牧夫]

第一次

満州事変の際に起こった日中間の局地戦争。世界の耳目を「満州国」の設立工作からそらし、中国の抗日運動を抑えるための謀略工作から発した。参謀本部付少佐田中隆吉(りゅうきち)らは、関東軍参謀大佐板垣征四郎(せいしろう)らの依頼で中国人を買収し、1932年(昭和7)1月、日本人僧侶(そうりょ)を襲撃・死傷させ、抗日運動の中心地上海に険悪な情勢をつくりだした。この事件は、中国側当局が日本の抗議要求をのんで落着したが、日本海軍は日本租界に陸戦隊を配備し、28日中国軍と衝突した。中国側の第十九路軍は抗日意識の高い精兵で、上海市街や北西郊外の水陸の地物を巧みに利用して陸戦隊を苦しめた。2月、日本政府は陸軍3個師団余を動員、激戦を展開した。上海は各国の権益が交錯するため、英・米・仏3国の休戦勧告など国際的圧力もあり、国際連盟の介入を恐れた日本は、連盟総会直前の3月1日ようやく大場鎮(だいじょうちん)の堅陣を落とし、3日第十九路軍の退却で戦闘を中止した。5月に停戦協定が結ばれ、日本軍は撤退した。この間3月に「満州国」が発足し、謀略の意図はいちおう成功したが、中国の抗日意識や列強の対日警戒心を一挙に増大させる結果を招いた。廟行鎮(びょうこうちん)攻撃の際、破壊筒を持って突入した兵士が爆弾三勇士として国民的英雄とされ、また停戦交渉中の4月、朝鮮人独立運動家尹奉吉(いんほうきつ)の投弾で上海派遣軍司令官大将白川義則(しらかわよしのり)、中国公使重光葵(しげみつまもる)らが負傷(のち白川は死亡)するなど、内外に大きな波紋を与えた。[岡部牧夫]

第二次

盧溝橋(ろこうきょう)事件に次いで、日中戦争の導火線となった戦闘。華北での戦闘が中国軍の抵抗で膠着(こうちゃく)していた1937年(昭和12)8月、日本海軍の陸戦隊中尉大山勇夫(いさお)らが射殺された事件を口実に、海軍は上海の中国軍を攻撃した。日本軍はふたたび苦戦に陥ったが、同月陸軍2個師団を派遣、全面的な戦争を展開した。以後、中国国民政府も対日抗戦に傾き、8年の長期に及ぶ日中戦争に発展してゆく。[岡部牧夫]
『秦郁彦著『日中戦争史』(1972・河出書房新社) ▽歴史学研究会編『太平洋戦争史1』(1971・青木書店) ▽江口圭一著『昭和の歴史4 十五年戦争の開幕』(1982・小学館)』

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