藤井静一(読み)フジイ セイイチ

20世紀日本人名事典 「藤井静一」の解説

藤井 静一
フジイ セイイチ

明治〜昭和期の社会事業家 馬屋上村共同済世社社長。



生年
明治3年11月23日(1871年)

没年
昭和27(1952)年5月2日

出生地
備前国津高郡面室村(岡山県岡山市)

主な受賞名〔年〕
藍綬褒章〔昭和15年〕

経歴
地主の家に生まれ、長じて農業を営む。のち農村疲弊憂い、農村救済事業に着手。その思想は日蓮宗の信仰と二宮尊徳の報徳主義より出たもので、小作料取り立てや松茸の売買で得た手数料を貧しい小作人の名義で貯蓄、それを基に田畑山林を購入して貧農に貸し与えた。35年相互扶助の精神に基づく安部倉懺悔会を組織し、貧困救済を目的とした融通講を開始。また、農村の精神修養や風紀矯正にも携わり、41年には安部倉矯風会を結成した。その後、岡山県の済世顧問や馬屋上村共同済世社社長などを歴任し、引き続き貧困者救済に尽力。救済事業のために私財を使い果たし、晩年は安部倉山に済世庵を結んだ。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤井静一」の解説

藤井静一 ふじい-せいいち

1871*-1952 明治-昭和時代の社会事業家。
明治3年11月23日生まれ。二宮尊徳の報徳思想にもとづき,明治35年郷里の岡山県馬屋上(まやがみ)村(岡山市)に安部倉懺悔(ざんげ)会,翌年安部倉融通講を組織して地域の相互扶助,生活改善推進。大正元年安部倉共同救護社を発足させて殖産興業と貧困の追放につとめた。昭和27年5月2日死去。81歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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