藤原伊行(読み)ふじわらのこれゆき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤原伊行」の意味・わかりやすい解説

藤原伊行
ふじわらのこれゆき
(?―1175)

平安後期の書家。行成(ゆきなり)を始祖とする世尊寺(せそんじ)家の6代目。定信(さだのぶ)の子。息子に太皇太后宮亮(たいこうたいごうぐうのすけ)藤原伊経(これつね)(?―1227)、娘に建礼門院右京大夫(だいぶ)がいる。宮内権少輔・従(じゅ)五位上に至る。当時随一能書とうたわれ、とくに平治(へいじ)元年(1159)の二条(にじょう)天皇大嘗会(だいじょうえ)、および仁安(にんあん)元年(1166)の六条(ろくじょう)天皇大嘗会において悠紀主基屏風色紙形(ゆきすきびょうぶしきしがた)の揮毫(きごう)を奉仕するほか、多くの能書活躍が知られる。現存遺品『葦手(あしで)絵和漢朗詠集』2巻(京都国立博物館)は、永暦(えいりゃく)元年(1160)4月2日の自署奥書を記した名筆である。伊行の書は、流麗な筆致に重厚さを加味した平安末期特有の趣(おもむき)がある。娘に与えた書道・音楽の秘伝書『夜鶴庭訓抄(やかくていきんしょう)』、『源氏物語』の最古の注釈書『源氏釈』などの著書がある。

[古谷 稔]

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朝日日本歴史人物事典 「藤原伊行」の解説

藤原伊行

没年:安元1(1175)
生年:生年不詳
平安末期の能書。定信の子。世尊寺家第6代。宮内少輔・従五位上に至る。その息に中務権少輔伊経,娘に建礼門院右京大夫がいる。伊行は能書の栄誉とされる願文や上表文などの筆者として活躍したが,中でも,二条天皇と六条天皇の大嘗会において悠紀主基屏風の色紙形の揮毫を拝命したことは特筆すべきことである。現存する遺品では,永暦1(1160)年4月2日の奥書に伊行みずから署名を加えた「葦手絵和漢朗詠集」(京都国立博物館蔵)が代表とされる。ほかに『和漢朗詠集』2巻を分担書写した「戊辰切」では上巻が伊行,下巻が父の定信の筆になり,父子寄合書として注目される。伊行の書は定信の影響下にあり,さらに粘りと重厚味が加わった独特の書風を形成している。また,伊行の著述では,娘が宮中に出仕するに当たって書道に関する秘伝をまとめた『夜鶴庭訓抄』,および『源氏物語』の最古の注釈書とされる『源氏釈』が知られている。

(古谷稔)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原伊行」の解説

藤原伊行 ふじわらの-これゆき

?-1175 平安時代後期の官吏,書家。
藤原定信の子。建礼門院右京大夫(だいぶ)の父。宮内少輔(しょう),従五位上にいたる。世尊寺家6代の能書で,二条,六条両天皇の大嘗会(だいじょうえ)の屏風色紙形をかいた。真筆に「葦手絵(あしでえ)和漢朗詠抄」。安元元年死去。著作に書論「夜鶴庭訓(やかくていきん)抄」,注釈書「源氏釈」。

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世界大百科事典(旧版)内の藤原伊行の言及

【源氏物語】より

…こうした人々の中から〈物語沙汰する人〉,つまり研究者が現れた。定家,光行・親行や後述の藤原(世尊寺)伊行(これゆき)を筆頭に源具氏,藤原家良,葉室光俊,藤原知家ら,また《弘安源氏論義》(1280)に出席した飛鳥井雅有,藤原定成その他がいる。研究の始まりは系図で,当時は〈譜〉〈氏文〉とも呼ばれて,平安末ころから成書もできていたらしい。…

【法性寺流】より

…《筆道流義分》では,これから後京極流が出たように記されている。法性寺流の書風の入った遺品としては,藤原(世尊寺)伊行の《葦手(あしで)下絵和漢朗詠抄》(国宝)などが顕著な例。【田村 悦子】。…

※「藤原伊行」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」