日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤原定信」の意味・わかりやすい解説
藤原定信
ふじわらのさだのぶ
(1088―1156ころ)
平安後期の公卿(くぎょう)、能書。三蹟(さんせき)の一人として著名な藤原行成(ゆきなり)の5代目の孫。父は『元永(げんえい)本古今和歌集』など一群の遺品の筆者と考えられる藤原定実(さだざね)。父親の影響から書に巧みで、『本願寺本三十六人家集』(1112年の成立と推定される)に25歳の若さで筆者として加わり、『貫之(つらゆき)集下』(「石山切(いしやまぎれ)」)、『順(したごう)集』(「岡寺切」「糟(かす)色紙」)、『中務(なかつかさ)集』の三帖(じょう)を揮毫(きごう)している。こののち、額、上表文、願文、異国の返牒(へんちょう)、色紙形(しきしがた)と、能書の大事を一手に引き受ける活躍を示した。さらに、5048巻に及ぶ一切経(いっさいきょう)を1人で書写するという「一筆一切経」を、23年間を費やして1151年(仁平1)に成し遂げた。そのため、速書(はやが)きとなり、側筆(そくひつ)を使った右肩上がりの独自の書風をなし、後世、「片上様(かたあがりよう)」(『入木口伝抄(じゅぼくくでんしょう)』)といわれる写経の書体の一つの型を生んだ。『久能寺(くのうじ)経』の「譬喩品(ひゆぼん)」(静岡市・鉄舟(てっしゅう)寺)や「戊辰切(ぼしんぎれ)」(巻下)、「戸隠(とがくし)切」(戸隠神社ほか)、さらに藤原行成筆『白楽天詩巻』奥書(東京国立博物館)など遺墨は多い。官位は従(じゅ)四位下・宮内権大輔(くないごんのたいふ)にとどまったが、書道史、写経史のうえでの存在は大きい。
[島谷弘幸]
『小松茂美著『日本書流全史』(1970・講談社)』▽『小松茂美著『平等院鳳凰堂色紙形の研究』(1973・中央公論美術出版)』