藤原行成の子孫を中心とする書の流派。中国から伝わった書道は,平安時代中ごろにいわゆる和様となるが,それは三蹟の小野道風,藤原佐理,藤原行成において顕著であった。中でも行成の書風が最も日本人の嗜好にかなったのであろう。その系統の書風の流れが後世に及ぼした影響は多大なものであった。流名は,行成の邸桃園第に同家の氏寺として建てられた世尊寺による。世尊寺の家系は室町時代に及び,1529年(享禄2)17代行季の死で断絶した。世尊寺家は代々朝廷の書役をつとめたが,その後は持明院基春の持明院流によって受け継がれた。世系とは別に,書風の上では世尊寺流から青蓮院流(尊円流)が出て御家(おいえ)流ともよばれ,江戸時代には最も普遍的な書道となった。一般に世尊寺系統の書風はすこぶるやわらかく円みがあって,世の好みに合った一面,凡俗化することを免れなかったが,世尊寺の家系の中でも3代伊房,5代定信,6代伊行,9代経朝らはそれなりの風格をもつ名手とされる。
執筆者:田村 悦子
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書道の流派の一つ。和様の完成者で「三蹟(さんせき)」の一人藤原行成(ゆきなり)を祖とする。名称の由来は、当時、宮廷書道界を支配していた行成が、桃園(ももぞの)の邸を改築して建立した寺名を、後世、8代目の子孫行能(ゆきよし)が家名としたことに始まる。一系は、(1)行成、(2)行経(ゆきつね)、(3)伊房(これふさ)、(4)定実(さだざね)、(5)定信(さだのぶ)、(6)伊行(これゆき)、(7)伊経(これつね)、(8)行能、(9)経朝(つねとも)、(10)経尹(つねただ)、(11)行房(ゆきふさ)、(12)行尹(ゆきただ)、(13)行忠(ゆきただ)、(14)行俊(ゆきとし)、(15)行豊(ゆきとよ)、(16)伊忠(これただ)、(17)行季(ゆきすえ)と、室町時代後期まで続いた。6、7代目あたりまでは書道の名門としての命脈を支え、保守本流的立場を保ち続けたが、行成の伝統を墨守するあまり、12世紀後半以降は新鮮さを失い、形式的な書風に堕した。
[神崎充晴]
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三蹟の1人藤原行成(ゆきなり)を祖とする一大書流。後世の数多くの書流の源流に位置する。流名は清和天皇の第6皇子貞純親王の御所を,行成が1001年(長保3)寺に改築して世尊寺と称したことにちなむ。17代行季(ゆきすえ)に至るまで代々宮廷の書役を勤めた。行成の後,その孫伊房(これふさ)をはじめ,定実・定信・伊行(これゆき)・行能らの能書家を輩出し,1世紀半にわたって隆盛を誇ったが,鎌倉時代以後は生彩を欠いた。行季の没後は後嗣を失って断絶した。ただし江戸時代の書流系譜を掲げる諸本では,8代行能を筆頭とする書流を世尊寺流とし,それ以前は上代風とみていたことがうかがえる。
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… 平安時代も末期になるとようやく個性的書風が見え始め,とくに仮名書きにおいて,仮名の完成美を示す10世紀中ごろの高野切本《古今集》以後は,書写の速度やリズムに種々の変容が現れ,西本願寺本《三十六人集》は美麗な装飾料紙を用いた精粋であり,これは平家一門の名筆になる《平家納経》とともに平安時代の書の圧巻である。行成の書は世尊寺流と呼ばれ,典麗優雅な宮廷文化にふさわしいものであったが,その5世の孫,藤原定信も《三十六人集》の筆者の一人で平安末期の能書家である。しかし見るからに速筆の書であり,個性豊かで行成様を継承してはいない。…
…行成の没後,その家系は世尊寺の名で呼ばれ,書道を家業として続いた。その流派が世尊寺流である。この流派が後の御家流に続くわけであるが,それが凡俗に陥るには流祖行成の書風の中にもその種がないとはいえない。…
※「世尊寺流」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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