藤原季仲(読み)ふじわらのすえなか

改訂新版 世界大百科事典 「藤原季仲」の意味・わかりやすい解説

藤原季仲 (ふじわらのすえなか)
生没年:1046-1119(永承1-元永2)

平安後期の公卿。権中納言経季の次男。1074年(承保1)少納言より右少弁に任ぜられ,さらに左少弁,左中弁等を歴任し,94年(嘉保1)蔵人頭から参議に昇り,左大弁を兼ね,ついで権中納言に進んだ。1102年(康和4)大宰権帥を兼ねて赴任したが,05年(長治2)日吉社の訴えによって解官され,ついで周防国へ配流,さらに常陸国に移され,配所にあること15年,74歳をもって没した。藤原宗忠は季仲を評して,才智あり,文才もあったが,心性直ならざるにより,ついに殃(おう)にあって辺土に命を落としたと述べている。顔色が黒かったので〈黒帥〉とあだ名され,日記を〈玄記〉と称したというが,わずかな逸文を残すのみである。
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朝日日本歴史人物事典 「藤原季仲」の解説

藤原季仲

没年:元永2.6.1(1119.7.10)
生年:永承1(1046)
平安後期の公卿。権中納言藤原経季と備後守藤原邦恒の娘の子。堀河天皇の蔵人頭を経て嘉保1(1094)年参議となり,左大弁から正二位権中納言となる。康和4(1102)年大宰権帥 に任ぜられ任地に赴くが,長治2(1105)年日吉社神人殺害に関する訴えにより解官され,周防国に配流され,翌年常陸国に移されてその地で没する。実務家であり,堀河天皇より昔に恥じない名臣として大江匡房,藤原通俊と共に名を挙げられた。色黒で「黒帥」とあだ名されからかわれたことは『平家物語』などで有名な話。その漢文日記も『玄記』と称された。

(渡辺晴美)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原季仲」の解説

藤原季仲 ふじわらの-すえなか

1046-1119 平安時代後期の公卿(くぎょう)。
永承元年生まれ。藤原経季(つねすえ)の次男。嘉保(かほう)元年参議。権(ごんの)中納言,正二位にすすみ,大宰権帥(だざいのごんのそち)をかねて赴任。長治(ちょうじ)2年(1105)日吉社の訴えで周防(すおう)に,ついで常陸(ひたち)に配流された。元永2年6月1日配所で死去。74歳。色黒のため黒帥とあだ名された。日記に「玄記」。

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