藤原長方(読み)ふじわらのながかた

朝日日本歴史人物事典 「藤原長方」の解説

藤原長方

没年:建久2.3.10(1191.4.5)
生年保延5(1139)
平安末期の公卿。院近臣顕長と藤原俊忠の娘の子,本名憲頼。三条,八条,梅小路を号す。受領歴任ののち,検非違使,弁官,蔵人頭を務め,参議を経て従二位権中納言となる。実務に長じ,摂関家家司G0787院司のほか高倉天皇の後院別当も務める。和歌にも優れ,その学識・才能は当時から高く評価されて,公家の日記・軍記物・説話集などに多くのエピソードが載る。特に議定の場における時世にへつらわない発言は,治承・寿永の内乱における混乱した政局にあって注目に値する。「公人」「賢名之士」「当世之名士」「末代之才士」と称されたが,文治1(1185)年出家,政界から退いた。

(奥田環)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原長方」の解説

藤原長方 ふじわらの-ながかた

1139-1191 平安後期-鎌倉時代の公卿(くぎょう)。
保延(ほうえん)5年生まれ。藤原顕長(あきなが)の長男。母は藤原俊忠の娘。従二位,権(ごんの)中納言となる。「末代の才子」と評され,平清盛福原遷都を批判するなど,剛直の人として知られた。歌が「千載和歌集」以下の勅撰集に41首はいっている。建久2年3月10日死去。53歳。号は三条,八条,梅小路。家集に「長方卿集」,日記に「禅中記」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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