コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

藤原長方 ふじわらの ながかた

2件 の用語解説(藤原長方の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤原長方 ふじわらの-ながかた

1139-1191 平安後期-鎌倉時代の公卿(くぎょう)。
保延(ほうえん)5年生まれ。藤原顕長(あきなが)の長男。母は藤原俊忠の娘。従二位,権(ごんの)中納言となる。「末代の才子」と評され,平清盛福原遷都を批判するなど,剛直の人として知られた。歌が「千載和歌集」以下の勅撰集に41首はいっている。建久2年3月10日死去。53歳。号は三条,八条,梅小路。家集に「長方卿集」,日記に「禅中記」。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

藤原長方

没年:建久2.3.10(1191.4.5)
生年:保延5(1139)
平安末期の公卿。院近臣顕長と藤原俊忠の娘の子,本名憲頼。三条,八条,梅小路を号す。受領歴任ののち,検非違使,弁官,蔵人頭を務め,参議を経て従二位権中納言となる。実務に長じ,摂関家家司G0787院司のほか高倉天皇の後院別当も務める。和歌にも優れ,その学識・才能は当時から高く評価されて,公家の日記・軍記物・説話集などに多くのエピソードが載る。特に議定の場における時世にへつらわない発言は,治承・寿永の内乱における混乱した政局にあって注目に値する。「公人」「賢名之士」「当世之名士」「末代之才士」と称されたが,文治1(1185)年出家,政界から退いた。

(奥田環)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

藤原長方の関連キーワード藤原俊忠藤原実定高階為章葉室光頼藤原忻子(1)藤原定長(1)藤原俊通藤原俊盛藤原光長(1)藤原光雅

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone