朝日日本歴史人物事典 「藤原長方」の解説
藤原長方
生年:保延5(1139)
平安末期の公卿。院近臣顕長と藤原俊忠の娘の子,本名憲頼。三条,八条,梅小路を号す。受領歴任ののち,検非違使,弁官,蔵人頭を務め,参議を経て従二位権中納言となる。実務に長じ,摂関家家司G0787院司のほか高倉天皇の後院別当も務める。和歌にも優れ,その学識・才能は当時から高く評価されて,公家の日記・軍記物・説話集などに多くのエピソードが載る。特に議定の場における時世にへつらわない発言は,治承・寿永の内乱における混乱した政局にあって注目に値する。「公人」「賢名之士」「当世之名士」「末代之才士」と称されたが,文治1(1185)年出家,政界から退いた。
(奥田環)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報