日本歴史地名大系 「藤屋村」の解説 藤屋村ふじやむら 鳥取県:日野郡溝口町藤屋村[現在地名]溝口町福居(ふくい)北東流する藤屋川中流に位置し、下流は船越(ふなこし)村。東の樋(ひ)が峠の険道を経て二部(にぶ)宿に至る。拝領高は九八石余、本免は五ツ五分。米子荒尾氏の給地であった(給人所付帳)。文政一三年(一八三〇)の高一一五石余、物成五三石余、米子御蔵へ納入すべき三歩一米は不明(在方諸事控)。幕末の六郡郷村生高竈付では生高一二〇石余、竈数二三。「伯耆志」では林一五町五反余、家数二三・人数一〇四、鑪山として峠山(たわやま)があり、産物は砂鉄。 藤屋村とうやむら 岡山県:苫田郡鏡野町藤屋村[現在地名]鏡野町香々美(かがみ)香々美川左岸、桝形(ますがた)山の山麓に位置し、東は西田辺(にしたなべ)村(現津山市)、南は香々美中村、西と北は寺和田(てらわだ)村に接し、香々美川流域平坦部の北端にあたる。正保郷帳に高三一二石余、うち田方二七八石余・畑方三四石余とある。「作陽誌」では家数二九・人数一四二。元禄一〇年(一六九七)の美作国郡村高辻帳では改出高一四石余、開高一〇石余。文政五年(一八二二)の五人組人別帳(中島文書)によれば家数三八・人数一五二、うち男七八・女七四。家数三八のうち本百姓二八・人数一二四、男女とも六二。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報