藤岡琢也(読み)フジオカ タクヤ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「藤岡琢也」の解説

藤岡 琢也
フジオカ タクヤ


職業
俳優

生年月日
昭和5年 9月4日

出生地
兵庫県 姫路市

学歴
関西学院大学中退

経歴
姫路中学から広島の陸軍幼年学校に進むが、昭和20年在学中に敗戦を迎える。関西学院高等部時代には作曲家のキダ・タローらとバンドを組み、バイオリンを演奏。やがて結核を患い7年間にわたって入退院を余儀なくされ、関西学院大学を2年で中退。30年肋骨を7本切る大手術を受けた。その後、NHK大阪のラジオサークルを経て、32年劇団葦に入団。芸術座「人間の条件」の端役で初舞台。33年からは効果係や外国テレビドラマのアテレコ専門として長い下積生活を送る。41年NHKのテレビドラマ「事件記者」に病気で欠演した清村耕次の代役として出演、関西弁を話すチョビひげ記者を演じて注目を集め、清村の病死によりレギュラーに昇格して一躍人気を得、同年NHK「横堀川」で評価を確立。以来、〈兵隊やくざ〉〈社長〉シリーズなどに脇役として出演し、ユーモラスで味のある演技を見せた。45年「喜劇 頑張れ!日本男児」で映画初主演。その後は主にテレビドラマで活躍、平成2年スタートの橋田寿賀子脚本の人気ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」には小料理店おかくら主人・岡倉大吉役で第1シリーズから出演、当たり役として広く知られた他、大河ドラマ「春日局」、朝の連続テレビ小説「おんな度胸」など橋田作品の常連としても知られた。18年4月放送の「渡る世間は鬼ばかり」第8シリーズを病気のために降板、10月亡くなった。映画では16年の「死に花」が遺作となった。また、インスタントラーメン「サッポロ一番」のCMにも長く出演して親しまれた。他の出演作に、映画「悪名桜」「白昼堂々」「男売ります」「八甲田山」「八つ墓村」「連合艦隊」「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」「小説吉田学校」、テレビドラマ「太陽にほえろ!」「元禄太平記」「サンキュー先生」「八代将軍吉宗」「徳川慶喜」などがある。大のジャズ好きとしても有名で、ラジオのジャズ番組「ときめきジャズ喫茶」のパーソナリティーも務めた。

受賞
ギャラクシー賞(第4回)〔昭和41年〕「横堀川」,京都市民映画祭男優助演賞〔昭和41年〕「丹下左膳・飛燕居合斬り」,橋田寿賀子賞(橋田賞 第2回)〔平成6年〕,名古屋演劇ペンクラブ年間賞〔平成6年〕,菊田一夫演劇賞(特別賞 第27回)〔平成14年〕

没年月日
平成18年 10月20日 (2006年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

367日誕生日大事典 「藤岡琢也」の解説

藤岡 琢也 (ふじおか たくや)

生年月日:1930年9月4日
昭和時代;平成時代の俳優
2006年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android