藤岡通夫(読み)フジオカ ミチオ

20世紀日本人名事典 「藤岡通夫」の解説

藤岡 通夫
フジオカ ミチオ

昭和期の建築史家 日本工業大学名誉教授;東京工業大学名誉教授;読売東京理工専門学校名誉教授。



生年
明治41(1908)年7月31日

没年
昭和63(1988)年11月19日

出生地
東京市本郷区(現・東京都文京区)

学歴〔年〕
東京工業大学建築学科〔昭和7年〕卒

学位〔年〕
工学博士(東京工大)〔昭和24年〕

主な受賞名〔年〕
日本建築学会賞〔昭和31年〕「京都御所」,勲二等瑞宝章〔昭和55年〕

経歴
東京工大講師、助教授を経て、昭和26年教授に就任。同年文化財保護委員会技官を兼務。44年に日本工業大教授となり、48〜52年学長を務めた。また熊本城、和歌山城などの外観復元を手がけた。著書に「アンコール・ワット」「城と城下町」「角屋」「京都御所」「近世建築史論集」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学位 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤岡通夫」の解説

藤岡通夫 ふじおか-みちお

1908-1988 昭和時代の建築史家。
明治41年7月31日生まれ。藤岡作太郎次男藤岡由夫(よしお)の弟。昭和26年母校東京工業大の教授。東南アジア王宮や日本の城郭研究。48年日本工大学長。文化財保護委員会技官もつとめ,熊本城などの外観復元につくした。昭和63年11月19日死去。80歳。東京出身。著作に「アンコール・ワット」「桂離宮」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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