藤本韶三(読み)フジモト ショウゾウ

20世紀日本人名事典 「藤本韶三」の解説

藤本 韶三
フジモト ショウゾウ

大正・昭和期の美術ジャーナリスト 三彩新社名誉会長。



生年
明治29(1896)年10月3日

没年
平成4(1992)年4月4日

出生地
長野県飯田市

別名
筆名=多田 信一(タダ シンイチ)

学歴〔年〕
葵橋洋画研究所修了

主な受賞名〔年〕
藍綬褒章〔昭和45年〕

経歴
16歳で上京、写真印刷会社などに勤めながら葵橋研究所で洋画を学ぶ。川端龍子知遇を得て実業之日本などへ挿絵を描き、大正12年の関東大震災の直後、北原白秋の勧めでアトリエ社の創立参画、以後美術誌「アトリエ」の編集従事。戦時中「造型芸術」「画論」などを刊行、昭和18年日本美術出版社(後美術出版社)を創立。21年日本画の専門誌「三彩」を刊行。32年三彩社を創立、「三彩」を続行。38年には季刊古美術専門誌「古美術」を創刊した。53年名誉会長となる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤本韶三」の解説

藤本韶三 ふじもと-しょうぞう

1896-1992 大正-昭和時代の出版人。
明治29年10月3日生まれ。関東大震災後,美術雑誌「アトリエ」「画論」などの編集に従事。昭和18年の戦時統制による雑誌統合で大下正男と日本美術出版(のち美術出版社)を設立戦後,独立して三彩社をつくった。平成4年4月4日死去。95歳。長野県出身。筆名は多田信一。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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